まだ7月の前半だというのに、妙に暑い日が続いていて、今日も01時を過ぎたというの
にまだ30度近くありそうだった。
「毎日暑いねー」
隣を歩く相良くんを見上げた。
「ったく。俺暑いの苦手なんだよね。寒いのも嫌いだけど」
「それは日本に住むにはなかなか不便そうね」
「たしかにな」
私を見下ろして小さく笑う。
「Tシャツ一枚で汗かかない程度が毎日だったらいいんだけど。でも毎日それじゃそれはそれで飽きそうだな」
「そうねー。やっぱり寒い冬が終わって日差しが暖かくなってきて、桜が咲いてってのは捨てられないかな」
「春が好き?」
「うん。なんか始まりの季節って感じがする」
相良くんがちょっと不思議そうな顔をしたあとにまたにっこり笑った。なんか今日は笑顔を出し惜しみしない日?
「春生まれ?」
「ううん。夏っていうか梅雨っていうか……」
さすがにちょっと言葉を濁してしまう。
「ん?じゃ、近いの?」
「うん……」
「いつ?」
「あ、あの。7日なの」
「え?まさか今日?」
「……うん」
あんまり誕生日を人に言わないようにしていた。なんだか、誕生日プレゼントとかねだっているみたいで。
「なんだよ、それ」
相良くんの眉が寄せられ、やっぱり言わなければよかったと後悔するがもう遅い。
「ごめん」
「いや、謝るとこじゃないでしょう。いいの?誕生日に俺と飲みに行ったりしてて」
「え?」
「誰かいんじゃないの?一緒に居たい奴とか」
「いや、そんなことは全然ないんだけど……」
「けど?」
「あ、なんか誕生日に誘ったりしてごめんなさい」
「だから、誤るとこじゃないし。じゃ、今日は俺の奢りね」
「え!そんなの悪いよ。誘ったのは私だし」
慌てて断ったら「ばーか」と頭をクシャッとなでられた。
「ま、誕生日祝いでドリンク半額の店にってなんかだけど」
「ううん、全然そんなことないっ」
「誕生日くらい奢られてなさい」
「うん……あ、相良くんはいつ?」
「……俺のはいいじゃん」
「なんで?お祝いさせて?」
見上げるとちょっと困ったような顔をしている。
「んー。3月」
「何日?」
「いいじゃん、何日でも」
なんで言いたくないんだろう……
「あ、そっか……」
「なに?そっかって」
「あ、だから。彼女にお祝いしてもらうのかなーって」
「いや、彼女いないし」
「いないの?」
私から目をそらすとちょっと投げやりな笑い方をした。
「いないよ。ま、いるわけないよね。こんな生活してて」
……たしかに、同業者だったらあり得るかもしれないけど、昼夜逆転してるし、休みも週に一度でしかも平日。普通のお勤めしている人とだったらほとんど会
え
る機会もない。それは私にも言えることだけど。
「じゃ、お祝いくらいさせて。じゃなきゃ今日奢られない」
「そうくるか」
私を見るわずかに細められた目が優しくて、心臓の位置がちょっと上がったような気がした。
「じゃあ、覚えてたらな」
「覚えてたらってまだ日にち聞いてないよ」
「ああ……3日だよ」
「3日……3月3日?」
「ああ」
ぶっきらぼうな返事を返された。
「同じだね!」
「なにが?」
「ゾロ目ーっ」
なんかそんな共通点がうれしくなる。
「そこ?」
「そこって、どこよ」
「いや、ふつう、ひな祭りだーとかって言わない?」
「ああ、そうね。ひな祭りか。あんまり縁がないイベントだから思い浮かばなかった」
「女の子なら子供の頃いろいろやったんじゃないの?」
「んー……、うちそういうのなかったから」
不思議そうな顔をした相良くんにこれ以上質問を重ねられたくなくて話をそらそうと考えたが、うまい具合にそういうときに話題が見つからない。
「ふうん?」
一度足を止め私の顔を覗き込むように見たが、幸いなことにそれ以上相良くんは聞いてくることもなく、真っすぐ前を見て歩き始めた。
「けっこうにぎやかそうだね」
atticのドアに手をかけ私を振り返る。
「そうねー。混んでるかな?」
「ま、いいか。俺も久しぶりに篠森さんにも会いたいし」
小さく頷いてドアを開けると賑やかではあったが、それほど混み合っている様子でもない。
「あー!慶人!!」
篠森さんの大きな声が響いた。
「お久しぶりです、ご無沙汰していました」
「久しぶりだなー。おれんとこにはさっぱり顔も出さないくせに」
篠森さんが満面の笑みで迎えてくれる。
「あれ?紗月ちゃん!?」
あー、私の番ね。
「こんばんは」
相良くんの後ろから顔を出す。
「え?紗月ちゃん来てくれたの?仕事って言ってたのに」
「あ、なんか早上がりになっちゃって」
「そうだったんだ。こっちにどうぞ」
緑川さんに促されるまま、誰も座っていないコの字型のカウンターの奥へ進む。
え!?
思わず相良くんの腕を掴んでしまった。
「なに?」
「あ……ごめん。躓きそうになった」
「またですか。ほら、奥行きな」
奥のほうの席を勧められたことがありがたい。
こちらを見なかったが、今通り過ぎたあの後ろ姿は間違いなく紺野さんだ。
今日は帰るって言ってたのに……
「紗月ちゃん、突然メールしちゃってごめんねー」
緑川さんが屈託の無い笑顔を見せてくれることに安堵する。
「ホントですよ、メール今日の今日ですよ」
私も笑顔を浮かべおしぼりを受け取る。
「慶人くんも、いらっしゃい」
「なんだかすっかりお久しぶりで」
「いーのよう。二人の噂は聞いてたから」
う、うわさ?
「ジョージさんと結城さんからいろいろ」
なんだか、とても楽しそうなんですけど……
「清瀬、お前ビールに戻んの?」
「あ、どうしようっかな。相良くんは?」
「俺は飲み始めだし、ビールかな」
「うん、じゃあ私も」
私たちのやりとりを見ていた緑川さんが「ビールねー」と篠森さんに伝えていた。
紺野さんからの強い視線を感じたが、けっこう照明を落としている店内では、反対側のカウンターにいる人の顔は判別できないし、私が視力悪いと話したこと
あるからと自分に言い訳して気がつかないふりをした。
「おめでと」
手渡されたビールを持ち上げ、相良くんが乾杯を求めてきた。
「ありがとう。私のほうがお姉さんだねー」
「え。なんかそれイヤ」
「どういう意味よ」
「いや、よく躓くお姉さんですねー、と」
ククッと笑いながらビールに口をつける。
「え!?紗月ちゃん誕生日なのっ!?」
緑川さんの大きな声が響いた。
「いつ?今日?」
篠森さんまで身を乗り出して聞いてくる。
「あ……もう、日付変わっちゃったんで」
ゴニョゴニョと言ってたら、隣でぶっと吹き出された。
「さっきも思ったんだけど、なんで誕生日隠そうとするの?いいじゃん、一年に一度くらい祝われなさい」
「隠そうって……相良くんだってさっき自分の誕生日ごまかそうとしたじゃない」
「俺は。いいの」
「なによそれー」
「ひな祭りが誕生日って、なんかさあ」
ちょっと不貞腐れたように呟く声が漏れた。その時、突然音楽のヴォリュームが上がり、attic定番のバースデーソングが流れる。
「紗月ちゃん、誕生日おめでとー!」
緑川さんの底抜けに明るい声がしたと思ったら、花火付きのカラフルなカクテルが目の前に置かれた。
「あ……ありがとうございます」
「ほら、織姫さん」
篠森さんの声の方へ顔を向けるとカメラを向けられる。
「慶人も。花火消えちゃう」
そう促されて慶人くんが私にちょっと寄る。
恥ずかしくてしょうがない。こんな風に誰かに誕生日を祝われたことなんて今までない。でも、恥ずかしいんだけど、なんだか嬉しかった。
椅子の背と自分の背の間に入れたカバンが小さく震えた。と同時に自分の体がビクっと動いた。
「どうした?」
「あ……武者震い?」
ごまかすようにそう言うと、相良くんがまた吹出す。今日は相良くん、よく笑ってくれる日だなあなんて、一瞬のんきなことを考えた。
「なんだよ、それ。で?」
「で?」
「だから、なんで誕生日隠す?」
また話が戻ってしまったことに焦る。
「あ、いや。だって、さ。こんな風に気遣わせちゃったりするじゃない」
呆れ顔で溜め息をつかれ、胸の奥が軋んだ。
「ばーか」
今日二度目の「ばーか」をいただくと同時に、鼻をつままれた。
「一年に一度くらい祝われろってさっきも言っただろ。だいたいさ、お前誰かが今日誕生日って知ったら、気を遣って祝うの?」
「そんなことないっ、けど……」
「けど、なに?」
「けど……」
そう言いかけたとき、また背中のカバンが震える。顔が引き攣るのが自分でもわかった。
「なあ、お前この前からなんか変じゃない?」
「え?いや、そんなことないよ」
曖昧に笑ってごまかしたけど、相良くんは全然納得してない表情だった。