フォーリンラブ - Satsuki Side - : page 05

 そう、だって私の様子がおかしいのはこの前からじゃないもん、なんて思ってみたりするが、相良くんが気にかけてくれているのがわかって嬉しかっ た。
 でもさっきから数分ごとになんども自分の背中のカバンが振動を伝えてくる。なんだか泣きそうな気分になった。
「紗月ちゃん、紺野さんから一杯どうぞって」
「……え?」
 緑川さんの言っていることが一瞬理解できなかった。
「やだ、紗月ちゃん全然気がついてなかったでしょう。向かい側に紺野さんいたの。で、お誕生日だから何か一杯どうぞって。何にする?」
 私がすぐに反応出来なかったことを、気がついていなかったと勘違いしてくれた緑川さんに感謝した。
 でも一杯って……すぐ飲み終わるやつにしよう。
「あ、じゃあ……テキーラ。カザドレスください」
「ストレートでいいの?」
 小さく頷いて答える。隣から視線を感じて、目をあげると相良くんがまた怪訝そうな顔をしている。
「珍しいね、テキーラ」
「ん。ほら、一口で飲めるし……」
 私の返事にふうんとだけ返し、またビールをおかわりした。
「はい、カザドレス」
 緑川さんからショットグラスを受け取る。まさかここからいただきますをするわけにもいかないので、席を立ち、紺野さんの横に行く。
「ありがとうございます。そして、今日せっかくお誘いいただいていたのに、なんだかすみません。予定外にこんな感じになっちゃって」
「……誕生日、おめでとう」
 紺野さんが無表情に私を見た。
「ありがとうございます」
 その場でショットグラスを一息に呷った。
「そんな急いで飲まなくていいのに」
 睨むような目付きだった。
「あ、いえ。そういうわけじゃないんですけど……」
「紗月ちゃん、ちょっといいかな」
 篠森さんの声に救われた。
「はい、なんですか?」
「あ、ちょっと。慶人にも聞いて欲しいんだけど」
「わかりました。あ、紺野さんごちそうさまでした」
 ホッとしてその場を離れて、元の席に戻る。
「いい飲みっぷりで」
 相良くんが目だけでこっちを見て言った。どう答えたらいいかわからなくて下を向いてしまう。
「紗月ちゃん、あのさ……」
 篠森さんの言葉が歯切れ悪い。
「はい」
 顔を上げると、ちょっと困ったような顔をしている篠森さんと目が合う。完全に紺野さんと私の間を遮るように正面に立って少し顔を寄せてきた。
「ちょっと言いにくいんだけど……紗月ちゃんと紺野くん、付き合ってたりする?」
「……え?」
 意味が分からない。
「なんでそんな話になるんですか?」
「いや、ちょっとそういう話を聞いたことがあって」
「全然意味が分からないんですけど」
 咎めるような口調に篠森さんが肩をすくめた。
 相良くんは無言のまま私と篠森さんのやりとりを見つめてる。
「ごめんなさい。あの、でもどこからそんな話が出たんですか?」
「……本人」
「はい?」
「紺野くんから。今日のこのイベントについても、紗月ちゃんは仕事で来られないからって聞いてて。でも、紗月ちゃん慶人と来たし、なんか変だなと……さっ きの紺野くんの様子もなんかおかしかったし」
「たしかに、緑川さんから今日連絡頂く前に紺野さんからお誘いはいただいてましたけど。でもそれはお断りしていて。早上がりできるかどうかもわからなかっ たし、それにどっちにしても紺野さんと一緒するつもりはありませんでした」
「んー。なんかおかしなことになってるね」
「清瀬」
 それまで黙って様子を見ていた相良くんが唐突に口を挟んだ。
「お前さ、すでに困ったことになってるって気がついてたんじゃないのか?」
「……」
「どうなの?」
 問い詰めるような聞かれ方に、言葉が詰まる。
 どうしよう。打ち明けたほうがいいのかな。でも、ここで話すのは紺野さんに聞かれてしまう可能性もあるし……
「ここじゃ言い辛いか」
 相良くんの言葉に「そうだな」と篠森さんも同意した。
「……どうするかなー。今、何時だ?」
「もうすぐ3時になりますね」
「だよな……お前ら今日ちょっと帰り遅くなっても平気?」
「俺は大丈夫ですよ」
「あ、私も大丈夫です」
「じゃ、とりあえずここ閉めるまで待ってて。その後場所変えよう」
 そう言って篠森さんは次に緑川さんに何か耳打ちした。緑川さんは一瞬驚いたような顔をしたけど、すぐに元の表情に戻った。
「ま、とりあえず飲むか」
 そう言った相良くんはいつもの雰囲気とはまるで違い、私と目も合わせない。
「……うん、そうだね……」
 怒ってる……のかな。説明はしたけどカップル限定のイベントに誘って、誕生日のお祝いをしてもらったくせに途中で席を立って、他の人からご馳走になっ て。なんだか面倒くさいことになって。
 やだ、なんか泣きそう。
 視界が歪む。
 だめだ、泣いたりしちゃ。それこそ面倒って思われちゃう。
「ちょっとトイレ行ってくる」
 顔も見ずにそう言い残して席を離れる。店の奥にあるトイレが遠く感じる。視界が完全にぼやけて、涙が落ちる寸前だった。
 ドアを閉めた瞬間に堪えていたものが溢れ出す。急いで目元を抑えた。涙がおさまるのを待つ。
 これ以上ここにいたら不自然に思われちゃうな……
 大きく深呼吸して、鏡を覗いてみた。ちょっと目は赤いかもしれないけど……店の中は暗いからこのくらいなら大丈夫、かな。
 もう一度深く息を吸い込み、ゆっくり吐き出してから、席に戻った。
「緑川さん、オールド・クロウをロックでください」
 ぬるくなったビールを飲み干した。
「ごめんね、なんか変なことになっちゃって」
「いや、別に」
「ん……、あの、篠森さんに相談してみるから、先帰っていいんだよ」
「何言って……」
 やっと目があった篠森くんの表情が固まった。怒ってる……驚いてるというか、戸惑ってる……?
「なんて顔してんだよ。大丈夫だから、そんな不安がるな」
 そう言って私の頭をくしゃくしゃっと撫でた。その手の温かさに胸の奥にほんわりと優しいぬくもりが広がっていく。
 カバンから伝わる振動がそのぬくもりを一瞬で消し去った。
「さっきから何に……」
「ううん、あとで……」
 もう気にしたくない。カバンを椅子の下に置いた。相良くんが「あっ」と声を上げ、合点がいったような顔をした。
 相良くんの手が私へ伸ばされた。
「眉毛、下がりっぱなし」
 伸ばされた手が私の眉をなぞる。
「せっかくの誕生日を楽しみなさい。俺と一緒に飲んでるんですよ」
 ちょっと小馬鹿にしたような笑みにつられる。
「そ、誕生日はあと1年後までないんだから」
「そうだね。ありがとう」
「じゃ、改めて。23歳おめでとう」
 今日久しぶりに相良くんの笑顔を見た。それだけで、立ちこめていた不安が晴れていく。
「ありがとう」
 仕切りなおしの乾杯の、グラスを合わせた音が耳に心地良く響いた。

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