雨、時々キス - Keito Side - : page 01

 変だなと思ったのはあの時。エルヒターノで偶然会ったあの日。
 清瀬は席に着くなりタバコに火をつけた。なんだか違和感があった。結城さんがそれを指摘したときに気がついた程度だったけど、たしかに彼女は座るなりお もむろにタバコを取り出すようなことは今までなかったと思う。
 相性の悪いお客さんが……って言ってたな。その大変さは俺も同業者だしよく知ってる。清瀬の言う相性の悪いはどういう相性なのかはわからないけど。
 今日はここに来るまでは特に変わった様子もなかったと思う。誕生日の話はあまりしたくなかったみたいだけど。周りには清瀬みたいなタイプはあまりいない な。というか、周りに親しい女は多くないか。
 女性客でちょこちょこ話をするようになったような人は「私誕生日なの」と自分から言う。だからなんなんだとも思う。そういうのばっかり見てたからか、清 瀬の反応が新鮮だった。
 柄にもなくご馳走するなんて言ってしまったのはそのせいか……?
 atticのイベントに誘われたのは正直戸惑った。カップル限定のイベント。俺を誘うのに何か意味があるのかと勘ぐってみたけど、清瀬はいつもどおり で、むしろそんなことを気にした俺がバカみたいだった。
 一緒に飲んで楽しいっていうのは嬉しいけど……そこまで考えてハッと我に返る。清瀬だって女だ。俺はもうあんな思いはしたくない。女の言葉は信じられな い。でも、清瀬は……
「紗月ちゃん、紺野さんから一杯どうぞって」
 緑川さんの言葉に清瀬がビクっとした。そうだ。今日は何度かこんな風にビクっと体を震わすことがあった。何かに驚いたような、怯えたような……なんなん だ?
 誕生日と知って、向かい側の人から何か一杯と勧められたのだろうが、やはり様子がおかしい。
 カザドレスをストレートでだって?
 テキーラはあまり好きじゃないと言っていたはずだ。一口で飲めるし……ということは一口で飲み干すということだろう。清瀬がそういう飲み方をするのは見 たことがなかった。たしかにバーボンやラムをストレートで飲むのは何度も見ているけど、煽るように飲むのではなく、ゆっくり味わって飲む。ペースは早いけ ど。
 席をたって、向かい側へ移動する清瀬を目で追う。全然嬉しくなさそうだ。ここからでは何を話しているかは聞こえないが、暗がりに浮かぶ男の表情も祝って いる雰囲気は全くない。
 なんの話をしているんだ?
 途中で篠森さんが間に入った。清瀬がホッとしたような顔でこちらへ戻ってくる。
「いい飲みっぷりで」
 言ってたとおり一口でテキーラを煽ってきた清瀬についそんなことを言ってしまった。そんなことが言いたかったわけじゃないのに。清瀬は困ったような顔を して俯いてしまった。
「紗月ちゃん、あのさ……」
 篠森さんの言葉に顔を上げた清瀬の表情は沈んでいる。
「ちょっと言いにくいんだけど……紗月ちゃんと紺野くん、付き合ってたりする?」
 そんな雰囲気には全く見えなかったけど、そうだったのか?じゃあなんで今日俺を誘った?やっぱり清瀬の言葉も信じられない、などと一瞬でいろんなことが 頭をめぐった。
「なんでそんな話になるんですか?」
「いや、ちょっとそういう話を聞いたことがあって」
「全然意味が分からないんですけど」
 清瀬の言葉に刺が含まれた。こんな口調で話すのを初めて見た。
「ごめんなさい。あの、でもどこからそんな話が出たんですか?」
 肩をすくめた篠森さんを見て、清瀬の口調が柔らかくなった。
「……本人」
 篠森さんが申し訳なさそうに言葉にした。本人ってことはあいつか?
「はい?」
 清瀬の目が尖る。
「紺野くんから。今日のこのイベントについても、紗月ちゃんは仕事で来られないからって聞いてて。でも、紗月ちゃん慶人と来たし、なんか変だなと……さっ きの紺野くんの様子もなんかおかしかったし」
「たしかに、緑川さんから今日連絡頂く前に紺野さんからお誘いはいただいてましたけど。でもそれはお断りしていて。早上がりできるかどうかもわからなかっ たし、それにどっちにしても紺野さんと一緒するつもりはありませんでした」
「んー。なんかおかしなことになってるね」
 ここ最近の清瀬の様子。あれはこれに関して……?
「清瀬」
 黙って様子を見てようかと思ったけど、つい口を挟んでしまった。
「お前さ、すでに困ったことになってるって気がついてたんじゃないのか?」
「……」
 無言でいる清瀬にイラつく。否定の言葉が出ないときはたいがい肯定である時だ。
「どうなの?」
 言葉にいらだちが含まれてしまった。追い詰めたいわけではないのに。下唇を噛み締める姿を見て後悔した。
 席が離れているとはいえ本人が目の前にいる状態で話なんてできるわけがないだろう。
「ここじゃ言い辛いか」
 俺の言葉に篠森さんも同意すると時間を訪ねてきた。
「もうすぐ3時になりますね」
「だよな……お前ら今日ちょっと帰り遅くなっても平気?」
「俺は大丈夫ですよ」
 清瀬も大丈夫だと答えた。ここを閉めたあと場所を変えると篠森さんは言ったが、閉めた後ならここでいいんじゃないか?何か考えがあるのか?
「ま、とりあえず飲むか」
「……うん、そうだね……」
 俺に力なく返事をした清瀬はうつむいたままで、突然トイレに行くと席をたった。
 紺野っていったな……でも、何もないなら付き合ってるなんて発言あり得ないんじゃないか?清瀬が何か気を持たせるようなことでもしたのだろうか。
 それについては否定しきれないようにも思える。現に俺をこういうイベントに誘ったことだって、俺が勘違いする可能性も否めない。こういうことが度重なれ ば勘違いが勝手に確信に変わってしまったりすることだってあるだろう。
 ただ、少なくとも清瀬がそれを望んでいないことはわかる。じゃなかったら、あんな表情にはならないだろう。すっかり清瀬の笑顔が引っ込んでしまってい る。
「緑川さん、オールド・クロウをロックでください」
 清瀬の声で戻っていたことを知った。
「ごめんね、なんか変なことになっちゃって」
 小さな声で謝られた。
「いや、別に」
 成り行きというか、乗った船というか、もう今更だと思うし。第一、清瀬のへこみ様が心配にもなる。
「ん……、あの、篠森さんに相談してみるから、先帰っていいんだよ」
「何言って……」
 先帰っていいってなんだよと思って顔を見たら言葉が続かなかった。
 少し赤くなっているその目に薄く涙を湛えている。トイレで泣いたのだろうか……ひとりで泣いてたのか……抱きしめたい衝動に駆られた。それをごまかすよ うに清瀬の頭を撫でる。
「なんて顔してんだよ。大丈夫だから、そんな不安がるな」
 照れたような笑顔が広がったのも束の間、表情が固まった。
「さっきから何に……」
「ううん、あとで……」
 そう言って自分のカバンを床の上へ放った。
 カバン……携帯、か?
 そういえばエルヒターノで携帯に着信があったときも同じような反応だった……でも、今日ここにいるだけで何回こんな風になってる……?
「あ」
 俺の声に清瀬の顔が強張る。
「眉毛、下がりっぱなし」
 下がりきって、情けない顔にしている眉をなぞる。
 こいつ、反則だな。なんで安心したような顔するんだよ。俺が勘違いしそうになる……
「せっかくの誕生日を楽しみなさい。俺と一緒に飲んでるんですよ」
 その顔を引き寄せてキスしたいと湧き上がった欲望を抑え、茶化すように言うと、今度こそ清瀬に笑顔の花が咲く。
「そ、誕生日はあと1年後までないんだから」
「そうだね。ありがとう」
「じゃ、改めて。23歳おめでとう」
「ありがとう」
 仕切りなおしの乾杯の、グラスを合わせた音が耳に心地良く響いた。

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