雨、時々キス - Keito Side - : page 02

 いつものような、ぱあっと周りが明るくなるような笑顔ではないものの、清瀬の顔に笑みが浮かんだことが単純に嬉しい。もっと笑って欲しくて、俺は くだらない話を続けていた。
 だめだな、あんなにもう女は信じないと思っていたのに、すっかり清瀬にはまっている。いくら駄目だと思っても、一度自分の思いに気がついてしまったらも うそれは止めようもなくて。
 こうして清瀬がただ笑ってくれるだけでいいなんて思おうとしても、人間欲が出てくる。
 いつも笑っていてほしい、それが俺のそばで笑っていてほしいに変わってきている……
「じゃあ、ちょっと早めだけど今日はこのへんでラストオーダーですよー」
 緑川さんの底抜けに明るい声が皆の会話を中断させた。
「君たちはどうするかね?」
 おどけたような緑川さんの言葉に笑みが漏れる。
「俺は……」
 この後話するってことは、あんまり酔っ払わないようにしておいたほうがいいか……?
「カンパリ、ソーダで」
「おや、珍しい。紗月ちゃんは?」
「私は……どうしよう」
 清瀬の目が右から左へとバックカウンターに並ぶボトルを追う。
「……私もカンパリにしようかな……あ、やっぱりスーズにします」
「ロック?」
「あ……ちょいソーダで、レモンがっちり絞ってもらってもいいですか?」
「オッケー。おもいっきり酸っぱくしてあげる」
「いや、それはちょっと……」
 緑川さんの冗談に清瀬が苦笑する。
「ちょっと大丈夫?紺野くん明日も仕事あるんでしょう?」
「……」
 紺野の声は聞こえなかったが、篠森さんの口調では紺野もラストオーダーで何か注文したようだ。こっちを気にして張り合っているのかもしれないが、もう朝 の4時に近い。酒は強いのかもしれないが、月曜日からこんな飲み方をする人は多くはないだろう。
「え?今日?ごめん、今日はこのあとちょっと予定あるんだ」
 篠森が困ったような声を出した。この後飲みに行こうという誘いでも受けたのか?
 清瀬がずっと下を向いている。詳しい話をまだ聞いていないからどう声を掛けたもんか悩む。
「あんまり下ばっかり向いてるとヨダレ垂れるぞ」
「垂れませんからっ」
 ちょっとムキになって顔を上げた清瀬の頭を撫でる。
 俺は、結局こいつに触れたくてしようがないんだな……指の間をすり抜ける、染めていないまっすぐな髪の毛に口づけたくなる。
「ほらほら、じゃれてないで。カンパリソーダとスーズちょいソーダですよー」
 目の前に赤いグラスと黄色いグラスが並んだ。
 たまにはカクテルもいいな……カンパリの甘苦さを味わいながらそんなことを思った。
「スーズ、久しぶりに飲んだー」
 清瀬が嬉しそうに呟いた。
「カクテル、たまにはいいね」
「……そうだな」
 俺と同じことを思ったんだ、それだけのことが嬉しい。
「はい、そこにやけてないで先にお会計お願いねー」
 にやけてたか……?緑川さんの指摘にちょっと焦る俺の隣で、清瀬がカバンを取り上げようとしていた。
「こら。今日はおれの奢りって言ったでしょう」
「でも……」
「でも、じゃなくて。いいから」
「ありがとう」
 こんな笑顔が見られるなら毎回奢ってもいいと思ったが、清瀬の飲み方を考えたらあっという間に破産しそうだと思い直す。
 しかし、この状態からどうするつもりだろう。俺達が先に出たほうが良さそうだけど、どこへ行くかの打ち合わせも何もない。下手に言葉にしたら、あの紺野 が来てしまう可能性も考えられる。
 俺の迷いを察したかのようなタイミングで篠森さんからのメールが届いた。携帯が振動した瞬間、清瀬の表情が強ばった。
「篠森さんから」
 聞こえないだろうとは思いつつも、小声になる。顔を寄せると、シャンプーのものなのか、甘い香りが漂った。甘く華やかな香りに目眩がしそうになる。
「なんて?」
 俺がそんなことを思ったなんて考えもしないだろう、清瀬が無邪気に問う。小首を傾げる様子が昔飼っていた豆柴を思い出させた。
「お前、豆柴に似てるって言われない?」
「え?」
「豆柴。柴犬のちっちゃいやつ」
「なに、突然。そんなの初めて言われた。しかも、なに?人じゃなくて犬?」
 眉を寄せてそんなことを言っても、目が笑ってる。本当に嫌がっている様子ではなさそうだ。
「昔、うちで豆柴飼っててさ。なんかお前と似てるなぁ、と」
 つい笑いを含む言い方をしてしまったが、清瀬もそれにつられたのか笑い出す。
「なにそれ。私と似てるって、よっぽどかわいい犬だったのね」
 清瀬は否定されると思ってわざとそう言ったのだろう。
「そうだな。めちゃくちゃ可愛かったよ」
「……え?」
 清瀬の表情に戸惑い以外の何かが浮かんだ。
「じゃ、行くか」
「え?あ、どこに?」
「ジョージさんとこ」
 少し声のボリュームを上げた。聞こうとしていれば店内にいる人全員に聞こえるだろうという大きさに。
「1394?」
「そ」
 清瀬は何も疑っていない様子で、篠森さんと緑川さんに「ごちそうさまでした」と挨拶している。その背中を軽く手で押し、早く出るように促す。
 俺も軽く会釈し、店の外へ出た。3丁目の方向を目指す。4時を過ぎれば東の空はすっかり明るくなり始めるが、今日は曇が多く、まだ薄暗い。
「雨、降りそうだね」
「そうだな。なんか湿気多いし」
「雷鳴らないかな」
 清瀬がのんきに空を見ながらそんなことを言う。
「雷好きなの?」
「うんっ!あの轟を聞くと興奮する」
「うちの豆柴は雷怖がったんだけどな」
「ちょっと、まだ言うの?」
 店を出てから、清瀬の雰囲気が少し明るくなった。同じ空間にいるということがプレッシャーになっていたのかもしれない。
「あれ?1394こっちじゃないの?」
 1394がある連鎖街へ向かう路地を指差す。
「ああ、1394には行かない。あれ、ちょっとトラップ」
「どういうこと?」
「とりあえず、あの場で1394に行くと言っておいて、実際に行くのはエルヒターノってこと」
 訳がわからないという顔をしつつも頷く清瀬に次の角を曲がるよう促す。
「篠森さんたちは?」
「ああ、あとから来るよ」
 EL GITANOと書かれた磨りガラスが嵌めこまれたドアを開ける。
「お、お二人さん。いらっしゃい」
 半袖のTシャツから伸びる腕にはタトゥーが増えたような気がする。
「お疲れ様です。あとから二人来るんですけど」
「ああ、聞いてる。そっち、奥のほう行って」
 結城さんがカウンターの奥を示した。篠森さんはいつの間にか結城さんに連絡を入れていたらしい。手前側には見たことがない人が二人座っていた。
 清瀬を間にしたほうが話しやすいかと考え、先に自分が奥へ進む。
「何にする?」
 結城の問いに一瞬迷う。篠森さんたちを待ってたほうがいいのだろうか。でも、どれくらい遅れてくるかがはっきりしない。
「クロウ・ソーダください」
「はいよ。紗月ちゃんは?」
「あ……同じで」
「はいよー」
 結城さんの返事と同時に入り口の扉が開く。篠森さんと緑川さんが入ってきた。
「おっまたせー。結城さん、お疲れ様です」
 緑川さんがにこやかに言った。
「おう、繁盛店」
「やめてくださいよ、細々とやってるんですから」
 そう言いながら、清瀬の隣に緑川さん、その隣に篠森さんが座った。
「案の定だったわ」
 緑川さんが俺に言った。
「本当ですか?」
「うん、途中まで一緒に来て、1394行くからって別れたんだもの」
 トラップなんて立派なものじゃないけど、紺野は引っかかった。俺達の帰り際の話は聞こえていたわけだ。だから1394へ向かったのだろう。
 清瀬が不安いっぱいの顔で俺と緑川さんを見比べている。
「トラップかけてきておいてよかったなって話。心配すんな」
 小さく頷く清瀬の頭を撫でる。
 なんか、こいつの頭撫でるのくせになってるかもな。
「はい、君たちは何にするんだい?」
「ビール!」
 元気いっぱいに答える緑川さんに苦笑しながら、篠森さんもビールを注文した。

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