雨、時々キス - Keito Side - : page 03

「それで、どこから聞けばいいかな……」
 篠森さんに緑川さんが呟くように確認した。清瀬の目が不安に揺れる。
「あのさ、このまえ結城さんにイライラしてるなって指摘されたことあったでしょう?」
「……うん」
「あのときのイライラも同じ人が原因?」
「……うん」
 具体的なことを話してしまうのに抵抗があるのだろうか。ここは単刀直入に聞いたほうが答えやすいかな。
「あのさ、この前も思ったんだけど、もしかしたら電話かメールが頻繁に来てたりする?」
 驚いた顔が答えになった。
「ねえ、紗月ちゃん」
 それまで黙って様子を見ていた篠森さんが口を挟んだ。
「それはメールなのかな?」
 清瀬が黙ったまま頷く。
「どれくらいの頻度で来てた?」
「一日に多いときで30通くらい……」
「はあっ!?」
 清瀬以外の三人の声が重なった。
「30通って……」
 緑川さんも呆れている。
「あ、でもそれは多いときで……普段は20通くらい、かな」
「それでも20通って……差し支えなければ見せてほしいんだけど……」
 緑川さんの言葉にさすがに清瀬が逡巡する。
「うん、そうだよね。たださ、今の状態は紗月ちゃんが望む状態ではないでしょう。まあ、見せなくてもいいから、どんな内容か教えてくれる?じゃないと私た ちもちょっといろんな判断できかねるから」
「はい……あの、ほとんど毎日Andyに来てるんですけど、だいたいは『ごちそうさま』とか『気をつけて帰ってね』とかそういうもので、たまに今日のよう なお誘いがあったりっていう程度の内容なんですけど……」
「けど?」
 篠森さんと目が合う。しばらくこのまま緑川さんと話させてたほうがいいだろう、とお互い暗黙で頷きを交わす。
「今日のはまだ見てない……たぶん、atticにいる間にけっこうな件数来てると思う……」
「じゃあ、今日の分、何件来てるか教えて」
 困った視線を俺に寄越すのを見て、俺も黙って頷く。仕方なさそうにカバンから取り出された携帯電話は着信があったことを知らせるランプが光ったのが隣で 見ていてもすぐに分かった。
 二つ折りの携帯電話が開かれると、液晶画面にメールの着信件数がすぐに表示された。
「……!!」
 清瀬と俺の息が詰まる。
「147件……」
 覗き込んだ緑川が漏らした件数に篠森も驚愕の表情を浮かべた。
「尋常ではないな……」
「でも、たしかに今日紺野さんずっと携帯離さなかったね」
「ああ。実際1394に向かったのを考えても、ちょっと余裕がなくなってそうだな……」
「ね、紗月ちゃん。やっぱりメール見せてもらう」
 緑川さんが言い切った。清瀬も今度は頷いた。

誕生日だったんだね。なんで教えてくれなかったの?

その男はだれ?彼氏はいないって言ってたのは嘘?

なんで無視するの?

俺とは飲みに行けなくて、そいつとはいいの?

ねえ、返事してよ

その男がとなりにいるから返事できないの?

なんでその男に笑いかけるの?

紗月ちゃん、悪い子だねえ。俺の気をひきたくてそんな男の隣にいるんでしょう?

悪い子にはお仕置きしなきゃいけないな

 延々と同じような内容のメールが立て続けに受信されている。見ていて気分が悪くなってきた。
「ねえ、紗月ちゃんさ、紺野さんと二人で会ったりしたことってある?」
「ないです。店のバーベキューの時に外で会ったことはあるけど、他にもたくさん人いたし。それ以外のお誘いもすべて断ってました」
「そうだよねー。むしろなんで慶人くんと二人で出歩けてるのか不思議なくらいだもんなあ……」
 緑川さんの言葉に、この前結城さんが清瀬を人見知りと言っていたことを思い出す。
 また新たなメールが受信された。清瀬の手が震えている。俺を見上げる目に涙が溜まっている。堪らなかった。少し抱き寄せるように肩を抱き、見てみるよう に促す。

なんで1394にいないの?

「いやっ」
 そう言って清瀬が携帯を放り投げると、両手で顔を覆った。しゃくりあげる声が漏れる。肩に回した手に力が入る。清瀬が俺の胸に縋った。その細い肩にかか る髪を撫でながら、落ち着くのを待った。
 緑川さんと篠森さんが何か小さな声で話をしている。清瀬の小さな体からわずかに力が抜け、余計に頼りなく感じる。
「……ごめん」
 涙に濡れた声でそう告げ、俺から体を離そうとする清瀬を抱きとめたくなったのを堪えた。
「落ち着いた?」
「ん……」
 様子を伺っていた結城さんが、そっとティッシュをカウンターの上にのせた。
「ふ、さすが結城さん。ありがとうございます」
 清瀬から小さく笑いがこぼれた。
「ね、紗月ちゃん。ちょっとこの状況は松田さんにも知ってもらってたほうがいいと思うの」
「……松田さんに、ですか?」
 清瀬の声が小さく震える。
「うん。そもそもAndyのお客さんでもあるし、松田さんが普段は一番一緒にいるだろうから」
「俺たちを安心させると思って、松田さんに話させてくれないかな」
 緑川さんだけではなく篠森さんにまでそう言われ、清瀬がまだ涙に濡れた瞳で俺を見上げた。俺も頷く。
「松田さんにこそ知っててもらわなきゃいけないと思うよ」
 俺にそう言われ、ようやく頷いた。
「まだどっかにいるかな?」
 独り言のように呟くと篠森さんが自分の携帯電話を取り出す。
「今から?」
「うん、早いほうがいい」
「心配しないで。紗月ちゃんの悪いようにはしないから。それに松田さんだって、私たちが知ってるのに自分が知らされてなかったら拗ねちゃうわ」
 清瀬が頷くのを見届けてから、篠森さんが携帯を耳にあてた。
「お疲れ様です、篠森です。ご無沙汰してました」
 松田さんが出たのだろう、篠森さんが言葉を続ける。
「あの、突然で申し訳ないんですけど、今からエルヒターノに来れませんか?」
 清瀬の手が膝の上で固く結ばれている。そっとその上に手を重ねた。
「すみません。じゃ、お待ちしてます」
 そう言って篠森さんが電話を置く。
「すぐ来てくるって。ちょうど近くにいたらしい」
 結城さんが看板をしまったのを見て、初めてさっきまでいた二人組の客が帰っていたことに気がつく。それにしても閉店の時間にはまだ早い。
「ああ、今日はもういいんだ。俺もたまにはゆっくり飲みたい」
 俺の視線に気がついた結城さんがそう答えた。結城さんの気遣いだろう。
「いまから松田が来るんだろう?なかなか豪勢なメンバーが揃うからな。混ぜてもらおう」
 結城さんも清瀬のことが心配なのだろう。ちょっと不安そうな顔をしている。
 入り口のドアが開くと同時にまた清瀬の携帯がメールの着信を知らせた。あまりのタイミングにカウンターに並んだ4人の体が強ばった。
「お。ごめん待たせたな。って、なんだこのメンバー」
 松田さんののんきな声が凍りついた空気を和らげた。
「結城さん、今日おしまい?」
「いや、せっかくだから俺も飲もうかと思って看板しまった」
「あ、そうなんすね。じゃ、俺ビールください」
「あいよー」
 知らないのだから当然なのだけど、あまりの危機感のなさに呆れてしまう。
「で。清瀬は話する気になってくれたのか?」
 篠森さんの奥から松田さんが清瀬を見つめる。この人は気がついていたのか?
「俺は何が起きてるのかはわかってないけど、お前に何かが起きてることくらいはわかってたよ。でも、言ってくれないとどうしようもない。聞いてもお前はなんでもないってしか返さなかったからな」
 松田さんの言葉に清瀬が俯いた。
「ま、とりあえず乾杯でもしろや」
 結城さんがビールを松田さんの前に差し出すと、自分の分のグラスを手にした。
「ですね。じゃ、お疲れー」
「もう、松田さんってば。違いますよ。今日は紗月ちゃんの誕生日。おめでとう、なの」
 緑川さんの訂正に松田さんが驚いた顔をした。
「なんだ、お前今日誕生日だったのか?言えよ、そういうことは」
「……でも」
「でもじゃなくて。誕生日くらい祝わせてくれ」
 俺と同じことを言われ、清瀬が困ったように俺を見る。
「ほら。言った通りだろう。隠されてるような気がするのはなかなか寂しいよ」
「……ごめんなさい」
「ま、いいや。じゃ、おめでとう!」
 松田さんに合わせ皆でグラスを掲げた。

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