雨、時々キス - Keito Side - : page 04

「紺野がなあ……」
 一通り説明を受けて松田さんが溜め息をこぼした。その様子に清瀬が申し訳なさそうに体を小さくする。
「相手が紺野じゃお前も言い難かったよな……」
 独り言のようなその言葉に清瀬が少し顔を上げた。
「あいつも悪いやつではないんだけど……たしかに気に入ったものに対してちょっと普通じゃないと思うような執着するなと思ったことはあるんだけど、その執 着自体、本気だとは思ってなかったんだ」
「普通じゃない執着ってどういうことですか?」
 俺も気になった部分を緑川さんが拾った。
「いや……俺も実際には知らないんだけど、あいつが言ってたことが本当だったなら、飼い猫が逃げないように縄付けて部屋から一歩も出られないようにしたり とか。妹の彼氏が気に入らなかったからって別れると言うまで妹を監禁したとか。大げさに言っいるだけと思って、あんまり本気にしてなかったんだよ……」
「それだけですか……?」
 もっと何か知っているように見えた。
 猫に関しては、家にいたほうが安全ということもあり得るし、妹の事は相手によってはそこまでする必要があることもあるかもしれない。
「……これは、本人の理想として言っていた話だから、実際にそうするかどうかっていうのはまた別なんだけど」
「どんな理想なんです?」
 言い躊躇う松田さんに篠森さんが先を促す。
「何かのタイミングで理想の結婚生活とかの話になったことがあって……あいつ、結婚したら奥さんにはずっと家にいてほしいって」
「それだけなわけないでしょう?」
 自分の言葉が剣呑に響いた。
「……家から一歩も出したくないから、買い物も何もすべて自分が与えるものだけで生活させたいと。携帯に至ってはメモリは自分のもの1件だけしか入れてて ほしくないとか。GPS付いてないと万が一外に出られたりとかしたら困るとか。そんなの奥さんになる人にだって人間関係あるんだから無理だろうって言った ら、そうですよねーって笑ってたから冗談としてたんだ」
「ふつう、冗談でもそんな発想しないと思うんですけど……」
「いや、だからこそ冗談だと思ったんだよ。本当にそんなこと思ってたら口にしないんじゃないかと」
「紗月ちゃんに対する態度とかで気がついてたりしたことはなかったんですか?」
 俺の言葉を緑川さんが鋭く遮った。
「……好意を持っているなとは思っていた。でもあいつは、普段は本当にイイヤツなんだよ。さっき言っていたような話も滅多にしたことなかったし、だから冗 談だと思ってたし……」
「松田さん、そんなこと言ってられないかもしれない状況ですよ。現に、紗月ちゃんは毎日2,30通のメールが着てて、今日なんてたった数時間で150通近 くだった。これは冗談じゃないんですよ」
 苛立ちを隠さずに篠森さんがそう言い切った。
「俺は紺野くんとはそんなに親しいわけじゃない。店には何度か来てくれたこともあるし、その流れで外で飲んだこともあるけど、それだけです。どんな人かな んて知りませんけど、紗月ちゃんは別です。かわいい妹のような存在だ。その紗月ちゃんが辛く感じている。冗談ではすみません」
 重ねて篠森さんからそう言われ、松田さんが項垂れている。それと同じように隣で清瀬が縮こまっていた。
「なあ、清瀬」
 ずっと黙ったまま小さくなっていた清瀬を見ると、その手に携帯電話を握り締めていた。俺の呼びかけで顔を上げた清瀬の目をこぼれ落ちそうな涙が揺らして いる。
「そんな顔すんなよ。みんなお前の味方だから」
 そう言いかけた俺の言葉の途中で清瀬が首を横に振る。その勢いでまた涙がこぼれ落ちた。
「……っがうの。あの、またメールが……きてて。なんで?待ってるって。遅いって……」
 何に対する違うなのかはよくわからなかったが、またメールが来てたんだろう。ずっと手に持っていたからか俺達はその着信に気がついていなかった。
「落ち着けって。またメールが来たのか?」
 俺の言葉に頷く。松田さんも篠森さんも緑川さんも、結城さんも心配そうに清瀬を見つめている。
「なんて書いてあった?」
「……待ってるのに、遅いって」
「待ってるって、どこで?1394?」
「……私の家の前って……」
「え?おまえの家、あいつ知ってるの?」
「知らないよ……教えたこともないもん。でも、私の家の前で待ってるって……」
「メール、見てもいい?」
 頷いたのを確認して清瀬の手から携帯を取り上げる。

紗月ちゃん、まだあいつといるの?

帰ってくるの待ってるのに、まだ飲んでるの?

雨降ってきたよ。傘ある?迎えに行こうか?

メール見てないの?早く帰っておいで

今日も仕事でしょ?こんなに遅くまで飲んでちゃだめだよ。ちゃんと帰ってくるまで待っててあげるから

 届いていた5通のメールをそれぞれ皆で確認した。
「紗月ちゃん、一人暮らし?」
 緑川さんの言葉にただ頷いて返事をする清瀬は、泣きつかれたのもあるのか、考えることを放棄したように見えた。
「おうちってどのあたり?」
「……二条町です」
「あら、けっこう近くに住んでるのね。ね、伊吹……」
「うん、そうだね」
 緑川さんの問いかけに篠森さんがそう答えると携帯電話を手に、席をたった。
「篠森さんは……?」
「ああ、とりあえず今日紗月ちゃんが安心して帰れる場所を、ね。ところで、松田さん」
 意味がわからなかったが、緑川さんが松田さんに向き直ったため追求ができなかった。
「明日、紗月ちゃん休んでもいいでしょう?ちょっとゆっくりさせてあげてくださいよ」
「ああ、それは構わない……」
 松田さんもだいぶショックを受けているようだった。清瀬はもう泣いてはいなかったが呆然としている。
 俺はこいつに何をしてあげられるだろう……
「あ、伊吹。どうだった?」
「ああ、確認次第、久嗣から連絡くる」
「そっか」
 戻ってきた篠森さんと緑川さんの会話はやっぱり意味がわからなかった。そんな俺の様子を見て結城さんがにやりと意味ありげに笑った。
「おい慶人。とりあえず紗月ちゃんの居場所は篠森にまかせとけ。お前は紗月ちゃんが気を許す少ない人間なんだから、ちゃんと支えてやれよ」
 結城さんに頷いたとき、篠森さんの電話が鳴った。今度は席を立たずにその場所で電話を受け取っている。
「ああ、わかった。ありがとう。助かったよ」
 そう短く答え電話を切ると、緑川さんに目配せした。
「慶人、ちょっと」
 篠森さんに手招きされ、席をたった。清瀬の目が不安そうに俺を追いかける。大丈夫だよ、と癖のない髪をくしゃっと手にしてから篠森さんの後を追って店の 外に出た。
「お前、ホントに紗月ちゃん好きだよな……」
 ちょっと呆れたように笑う篠森さんに俺は焦った。
「いや、そんなんじゃないですよ」
「いいよ、隠さないで。お前のあんな顔見れると思ってなかったし、紗月ちゃんがあんなに安心して男の隣にいることがあるなんて思っても見なかったし。」
 篠森さんの言葉に俺はずっと抱いていた疑問をぶつけてみた。
「清瀬の人見知りって俺しらないんですけど、そんなになんですか?」
「……仕事では別に問題ないし、人当たりもいいけど。一歩外へ出て、プライベートになったら彼女はなかなか難しい子だよ」
「全然そんなことありませんでしたよ。むしろ人懐っこい感じで」
「んー。紗月ちゃんにとってもお前は特別だったんじゃないの?」
 逆にそう聞き返され、言葉に詰まる。
「それで、この後のことなんだけど」
 先程までのからかうような顔つきから真剣な表情に変わった。
「今ちょっと調べさせてはいるんだけど。紗月ちゃんはこのまま自宅に帰さない方がいいと思うんだ」
「たしかに、そうですね」
 あの紺野が本当に待ち構えているかもしれない。
「で、ちょっと俺の方でホテル用意したから、そっちに泊まってもらおうと思う」
「ホテルって……?」
「あ、お前も知らないよな。HOTEL SYCAMOREってうちなんだ。だから俺の店もそこのテナント」
「えっ!?HOTEL SYCAMOREって……」
 たしかに篠森さんが勤めるskyscraperはHOTEL SYCAMOREの最上階にあるラウンジバーだけど、HOTEL SYCAMOREって言えば、誰もが知る高級ホテルで、日本はおろか海外にも進出しているような超大手だ。
「そう、おれそこの次男。だからどうにでもできるから。で、あそこに今日は部屋用意したから、紗月ちゃん送ってあげて。フロントに俺の名前言えばわかるよ うになってるから」
 なんでもないことのように話される内容に圧倒されて返事の言葉も出ない。
「詩は今日も仕事あるし、俺も今日はちょっと用事が立て込んでるから頼むな」
「送ってって……それは構わないけど、でも今日はそれでいいとしてもこれからあいつどうしたら……」
「そこなんだよな。お前明日って仕事?」
「いや、俺は火曜日定休になってるから。あ、明日って、水曜日のことですか?」
「ああ、ごめん。今日。じゃ、あとで連絡いれるよ」
「はい……あ、でも支払いとか。俺あんなホテルの部屋代なんて出せませんよ」
「ばかだな。そんなの取るか」
 篠森さんがそう言って笑ったとき、また携帯が鳴った。
「ああ、そうか……わかった。じゃあ、もうひとつの方も頼む。手間掛けさせて悪いな」
 また手短に電話を切ると、難しい顔で俺を見つめる。
「なんかあったんですか?」
「いや、ちょっと二条町の方へ人を行かせてみたんだけど。おそらく紺野くんと思われる人がアパートの部屋の前で立っていた」
「それ、清瀬の家なんですか?」
「二条町ってしかさっき聞かなかったから、本当に紗月ちゃんの家かどうかまでは今はわかりようがないけど。でも、その男の人相とか服装が一致する」
 思わず溜め息が漏れる。
「それでいま紺野くんについて調べさせてるから。松田さんはああ言ってるけど、あんな発言がいくつかあるならどっかでボロでてると思うんだよな。その結果 がでてから紗月ちゃんの身の振り方を決めたほうがいいだろうから」
「……そうですね」
 篠森さんの行動の速さとその慎重さにまた溜め息を吐く。俺は何もできないな……
「俺は俺がやれることをやるから、お前はお前がやれることをやれよ」
「俺がやれることって言ったって……」
「まずは紗月ちゃんをちゃんと送り届けて。寝室は二つあるし、お前も泊まったって問題ないし」
「何言ってるんですか。そんなことできるわけないでしょう。だいたい清瀬は俺の彼女でもなんでもないんだし」
「……まあ、そのへんはお前たちに任せるよ」
 俺の本心を覗き見るような篠森さんの目に狼狽えた。
「……っていうか、篠森さんって何者?」
「それはおいおい。さて、戻るか。あ、もう一つ。俺がSYCAMOREの息子だってのは内密に。紗月ちゃんには別にいいけど、それ広まるとちょっと面倒なんだ」
 困ったような笑顔を見せ、俺の返事も聞かずに篠森さんは店の中へ入っていく。今のは命令ってことだな……何度目かの溜め息を吐き、篠森さんに続いて店に 入った。

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