≒Vitamin - Satsuki Side - : page 01

 ブーンという何かの振動音で目が覚めた。
 ……携帯?また、メールかな……?
 いつも携帯を置くあたりを手で探る。携帯電話らしきものは見つからない。
 何か違う?
 私、昨日そんなに飲んだっけ?頭も痛い……
 視界が少しずつはっきりしてくる。自分の部屋とはまるで違う内装……
 そうだ、私きのうHotel Sycamoreに泊まったんだよな……きっともう二度とこんな機会ないだろうなー。
「おはよう」
「!?」
 耳元すぐそばで声がして心臓が止まりそうなくらい驚いて、声も出なかった。
「清瀬……?」
「相良、くん?」
 声の方を振り返れば、至近距離に相良くんの顔。私、相良くんにすっかり寄りかかってる。慌てて身体を起こした。
「目、腫れてる」
 少し笑いを含んだ言い方で、昨日さんざん泣いたことを思い出した。
「……ごめん、顔洗ってくる」
「うん、行っといで。コーヒーでも飲む?」
「あるの?」
「……たぶん」
「じゃあ、あったらお願い」
 顔が赤らむのを気づかれる前に洗面所に逃げこみたかった。慌ててドアを閉める。
 エルヒターノで散々泣いて……篠森さんに相良くんと帰るように言われて、Hotel Sycamoreに来て、クロウ飲んで、そのまま寝ちゃった……?しかも、相良くんに寄りかかったまま寝てた、よね……なんて迷惑な女。
 自己嫌悪に押しつぶされそうになる。
 ちゃんとしなきゃ。
 顔を水で思い切り洗えば、少しすっきりするような気がした。それでも、昨日起きたことが次々と頭の中を支配し始める。これからどうしよう。
「またなんか考えすぎてる顔して」
 洗面所から出ると、そう相良くんに笑われてしまった。
「とりあえずコーヒー飲んで。ミルクとかなかったけどブラックでいい?」
「うん。でも、時間大丈夫なの?ここってチェックアウト何時なんだろう……」
 ふつう、こういうホテルのチェックアウトは午前中だと思うんだけど。
「ああ、ここ篠森さんの部屋みたいなこと言ってたな。時間気にしなくていいって。あとで篠森さんから連絡はいるからそれまでここにいてもいいみたいだよ」
「そうなんだ……雨もすっかりやんだね。そと、暑そう……」
 朝のあの雷雨が嘘のように晴れ渡った空に、まぶしすぎるくらいの太陽が向かいのビルの窓に写りこんでいる。外はかなり暑そうだ。
「あ、服。乾いた?」
「ああ、俺は平気。清瀬のももう乾いてるんじゃない?」
 言われて自分がバスローブ姿だったことを思い出した。今更恥ずかしくなる。こんな格好で相良くんに寄りかかって寝て、呆れられてそう……
「着替えてくる」
 それだけ言ってまた洗面所に逃げ込んだ。後ろから「コーヒー冷めちゃうよ」という相良くんの声が追いかけてくる。
「置いてて。あんまり熱いと飲めない……」
 洗面所から顔だけ出してそう言うと、相良くんがまた笑う。よかった、呆れてるような笑い方じゃない。本心はわからないけど……
 雨でずぶ濡れになった洋服を、乾いたからといってもう一度袖を通すのは、ちょっと抵抗がある。他に着替えがあるわけでもないから仕方ないけど。少しごわつくTシャツとデニムに着替える。
「寝起きでコーヒーいれちゃったけど、腹減んない?」
 洗面所から出るなり相良くんにそう言われ、昨日の夕方から何も食べていなかったことを思い出した。
「……たしかに。どっか食べに行く?ここにいたほうがいいのかな……」
「いや、篠森さん来るの17時ころらしいから、それまで勝手にしててってメール来てた」
 あ、そうだ。携帯の振動音で目が覚めたんだった。あれがきっとそのメールだったんだろう。
「でも、俺ここで食事とかって嫌だよ」
「私も、ちょっと……」
 このホテル自体が高級すぎて、部屋の中でさえ自分たちが浮いてるような気さえする。ルームサービスもなんか怖い。
「ま、近くになんかあるだろ。その前にタバコ一本もらっていい?俺きらしてた」
「どうぞー」
 カバンの中を探る。何か固いものに触れ、それが自分の携帯電話だと気がついて、動けなくなる。
「清瀬?」
「あ……ごめん、なんでもない」
 力が入らない、震えそうになる手を強く握る。
「!!」
 私の固く握った手の上に相良くんの手がそっと包み込むように重ねられた。あたたかかった。その手の温かさにまた涙が出そうになる。
 なんだろう、涙腺の箍が外れちゃったのかな?昨日から泣きっぱなしだ。
「大丈夫だから」
 顔を上げると、心配そうな相良くんの目が私を映していた。胸の奥が締め上げられたように苦しかった。
 私、もうどうしようもなくこの人のこと好きなんだな……
 もう片方の手が私の髪を撫でる。相良くんはよく私の頭を撫でることがあったけど、いつもはくしゃくしゃっとちょっと乱暴な撫で方。でも、そっとやさしく髪に指を通されるとうっとりと眼を閉じてすべてを預けたくなる。
「――っ!?」
「そんな顔見せるな」
 一瞬、何が起きたかわからなかった。でも、今私の唇に触れたのは相良くんの、唇……?
「タバコ。早く出さないともう一回するぞ」
「……じゃあ、ゆっくり出す……」
 相良くんが少し驚いた顔を見せたが、すぐに破顔した。
 私の顔に添えられた手に、近づいてくる顔に、頬に触れる前髪に、勿体無くて目が閉じられないって思ったけど、自分のドキドキに負けて結局目をつぶった。
 そっと触れるだけのキスを重ねる。頬を撫でられ薄く目を開ければ、再び相良くんの瞳に捕われる。それが合図だったかのように、重ねるだけだった口づけが深いものへと変わっていく。
 何度も交わされるくちづけに目眩がしそう。
「……っ、ん……」
 重なった唇と唇の隙間から息が漏れる。もうどう息をしていいのかもわからないくらいだった。相良くんの唇が首元へと移動する。耳たぶを甘噛みされた瞬間、身体の中心を何かが通り抜けていったような気がした。
 キスってこんなに幸せな気分になれるものなんだ……初めて知った、かも。
「ん!」
 鎖骨のあたりに鋭く痛みが走る。
「……これは見られないようにな。ちょっと刺激が強すぎる」
「え……?」
「こんなにはっきり付くと思わなかった」
「……ああ、私痕残りやすくて……蕁麻疹体質だからかな?」
「そうかもな。じゃあ、俺ちょっとシャワー浴びてくるから」
「え?あ、はい」
 ニヤッと笑われ、顔が赤らむのが自分でもわかった。
「……誰かさんが、俺を枕にしてたから。濡れた服のままシャワーも浴びずに寝ちゃったんだよね」
「あっ!……あの、ごめんなさい」
 私の目の前に立った相良くんは、目の高さを私に合わせるようにかがむと、髪に手を絡めてもう一つトッテオキのような優しいキスを一つ落とした。
「いいよ……続き、期待した?」
 咄嗟に意味を理解できなかった。でもすぐに『続き』が何を指すかに思い至り、慌てて首を振る。
 ふっと笑うと、いつものようにくしゃくしゃっと私の頭を撫でて、バスルームへと向かっていった。その後姿がドアの向こうへ消えても、しばらく身動きできなかった。
 キス、しちゃった……
 なんで、どうして相良くんは私にキスしたんだろう……勢いとか流れ、なのかな……?
 もしそうだとしても、私、嬉しかった。なんか、すっごく幸せな気分になった。

<< | >>


inserted by FC2 system