入試の日にこんな雪が降るなんて、今年の受験生は皆ついて ないなと思ったが、そんな日にわざわざ会場案内の為に登校しなければならない自分もついてないなと思い直す。
 2月1日、夜中から降り始めた雪は、未だ止むこともなく降り続き、あたり一面を銀世界へと変えていた。滅多に積もることなんてないのに、とひとりぼやき ながら通学路をひたすら進む。
 百合ヶ丘学園へと続くこの道を通い始めて13年目にもうすぐ入るのかと思うが、とりたてて感慨を覚えることもない。いつもよりは足元を気にしながら歩い ていると後ろから呼び止める声がした。
「おい、凌。おいていくなよ」
 声の主は同じマンションに住む従兄弟であるとすぐ分かるが、止まって待つつもりはない。
「待てってば」
 やっと追いついたそいつは白い息を吐きながら隣に並んだ。
「どうせ同じ場所に同じ時間に集合なんだから一緒に行こうよー。ちょっとくらい待ってくれたっていいじゃん」
「どうせここからの移動時間なんて10分も掛からない上に、こんな寒い日にわざわざお前を待って、並んで登校する意味が全くもって見出せなかった」
「そんなこと言うと会長権限で一番寒い所に配属してやる」
 にっこり笑みを浮かべ隣の男が言う。ああ、面倒くさい。あと1年もこいつと生徒会でも関わらなければならないのか。早く卒業してくれ、とどうしようもな いことを願う。残念ながら俺は今1年だし、こいつは2年だ。そして俺はただの生徒会役員でこいつは現生徒会長。全くもって厄介この上ない。そして本当に一 番寒いところに配属されることを覚悟した。
「しっかし、今日入試とかってかわいそうだよなー。けっこう遅刻者出るかもな……」
「電車遅延とかは今のところ出てはいないみたいだけど」
「あ、そうなの?でも混むだろうから、電車乗り遅れてとかってあるだろうよ」
 確かに。慣れない道というのは妙に時間がかかるものだ。しかも入試とあれば緊張もしているだろう。心配するような口調でありながら、人を喰ったような笑 みを浮かべている隣の男を横目に見る。若干見上げることになるのが気に入らない。
 従兄弟であるこの男とは付き合いが長く、年も近いことから8つ離れた自分の姉よりも兄弟という感覚が強いが、仲がいいかといえばそういうわけでもない。 自分にとって会話をする数少ない一人であることには間違いないが。
 百合ヶ丘学園は県下一の進学校として知られる。幼稚舎から大学までが一つのキャンパスに揃うためかなり広大な敷地を持つ。エスカレーター式とはいえ、進 級するのもかなり厳しい試験があるため、高い偏差値を保っている。
 高校まではそれほど人数の拡大をさせないため、外部から受験は偏差値の他に競争率も高くかなりの狭き門だ。中学部までは一学年120人程度だが、それが 高校で150人になる。1クラス分の補充といったところだ。中等部では4クラスだったのが5クラスになり、各クラスに6人ほど高校からの入学者がいることになる。
 進学校と言う割におおらかな校風のせいか、1クラス30人という少なめの人数のせいか、外部生がなじむのは早い。最初の2ヶ月で学校行事が多めに詰め込 まれているせいもあるのかもしれない。
「あ、そうだ。今日のミーティング明日に延期するから」
 唐突にそう言われて理解するまでに少し時間がかかった。
「……そう」
 どうせ女と会うことになったとかそんなところだろう。2学年の首席代表で頭はいいんだけど、こと約束事や時間にルーズだ。
「仁」
「ん?」
「あんまりいい加減なことばかりしてるとそのうち刺されるぞ」
 俺の言葉に楽しそうに笑いながら「そうかなあ」なんて言っているこの男はどこか刹那的に生きている部分がある。礼司叔父はそんなにプレッシャーを与える タイプではないはずだが、夕利一族ということで周りからのプレッシャーがあることは否めない。
「仁、凌、おはよう」
 裏門近くで生徒会副会長の藤井瑞貴から声を掛けられる。
「おはようございます」
 にこやかにおはようと挨拶を返す仁の隣で俺も無愛想にならない程度に挨拶した。
「寒いねー。今日入試なんてかわいそうだなあ」
「だな。絶対転んでるやついるな」
 嬉しそうに言う仁を藤井先輩が軽く睨む。
「そんなこと言ってると来年度いい会計いなくなるよ。今凌しかいないんだから。あと2名は1年から選ばなきゃならないのに」
「そうですね。俺一人でやるのとか勘弁してくださいね。いいの入らなかったら会長にさせますからね」
「大丈夫。凌ならなんとかするでしょ」
 厭味な笑顔から視線を外し大げさな溜め息で答える。確かにいなければ自分でやる。ただかなりの負担になるのは目に見えている。そこまで自分がやるこ とに何のメリットもない故に適当な人材はほしい。向かない人材を充てがわれても余計な仕事が増えるだけだ。そして、そういう人材配置をこの仁がやることは ない。いい加減だが、人を見る目はある。
「あまり俺の負担を増やさないでください」
 そう言い残して先に生徒会室へと向かった。時刻は8時。入試は9時半からになったからかまだ人気のない校舎を歩く。自分の足音だけが聞こえる、このシン とした校舎を歩くのは好きだ。3階にある生徒会室もまだ誰も来ていないようで静まり返っている。
 暖房を入れ、窓から中庭を見下ろす。積もった雪には足跡一つなく、静謐な景色が広がっていた。雪のせいか、普段よりも静かで冷たい空気を感じる。波紋一 つたたない湖の底にいるような感じに浸っているとドアの向こうからいくつかの足音が響いてくる。
「おっ、しっのぐー!」
 顔を確認しなくても声でわかる騒々しさは間違いなく慎だ。慎は高等部への外部入学だったが、なぜか俺に興味を持ったようでやたらと話しかけてきた。最初 は鬱陶しく思っていたが、それでもめげる事もなく気安く話しかけてくる慎にいつの間にか俺も馴染み、呼び方も澤田から慎に変わっていた。
「おはよう」
「はよー。まだここも寒いな」
「今暖房いれたばかりだから」
 少し陽が漏れてきた雲間に目を向けると同時に複数人が部屋へ入ってきた。これで現在の生徒会役員すべてが揃った。
「7人揃ってるねー」
 締りのない口調で仁が面々を確認する。
「はいこれ会場案内図」
 そういい添え、藤井先輩がA4のコピー用紙を全員に配る。見るとそれぞれの立ち位置が記されている。
「割り振りは?」
「A点から順に言うよー。Aが俺と瑞貴。B滝田、Cチカラとソウ、D凌と慎ね」
「うわ、一番寒いとこじゃん」
「あ、その文句は凌に言ってねー」
 やっぱり本当に寒いところだ。昇降口からの冷たい空気が直接流れ込む。慎が恨めしそうに俺を見ている。
「お前、会長になにしたんだよ……」
「朝、待たずに先に家を出たことが気に食わなかったらしい」
「それだけ!?」
「そう」
「会長……」
 恨めしい視線の先が俺から仁に移る。
「ま、しょうがないでしょ。誰かやらなきゃいけないんだから」
 ふふんと楽しそうに笑うが、楽しいのだろう。
「で、今日はこの雪だから遅刻者もあると思う。試験時間30分遅らせて開始するらしいから、遅れてきた子にはその旨伝えてあげて。焦って来るだろうから」
「撤収予定は?」
「9時半くらいでいいんじゃない?」
 また適当な……まあ、遅刻者の状況見て動けばいいか。
「ミーティングなしって言ってたけど各自切り上げて終わっていい?」
 俺の発言に周りの全員がきょとんとした顔を並べている。
「あ、それまだ凌にしか言ってなかったんだ」
「ミーティングなしですか?」
「うん、ごめんね。でえとなの」
「会長……」
 呆れた声が重なる。
「君たちもでえとのときは遠慮無く言ってね。日程変えるから」
 返事をする気も失せ、荷物とコートはそのままに俺は持ち場へと向かう。
「あ、おい」
 慎がその後をすぐ追ってきた。
「お前、上着いいの?あそこ寒いぞ、絶対」
「ああ。いいよ、別に」
 寒さには弱い方ではない。だからこの配置だったのだろうし。校舎内で上着を着ているというのもなんだかおかしい気もする。それに慣れればそこまで気には ならないだろう。
「お前、受験生の前でその仏頂面はやめろよー」
 慎が自分の眉間を指さしながら笑う。
「受験生に愛想振りまく理由もないと思うけど」
「そうだけどさー。でも新入生になる子たちだよ、ちょっとくらいいいじゃん」
「いや、だから意味ないし」
「そんなこと言うなよ、色男」
 色男って……
「うるさい、お前あっち側ね」
 反対側の階段を指さす。
「はいはい」
 それ以上は何も言わずに反対側の持ち場へ向かう慎の後ろ姿を見送った。
 俺の無愛想に今では誰も何も言わないが、慎だけは付き合いもまだ短いせいか何かにつけ言ってくる。そんな慎は誰にも同じように愛想がいい。まるで正反対 だからこそ付き合いは短いがウマは合うのかもしれない。
 8時半近くなり、ポツポツと中学校の制服に身を包み、寒さで赤くなった顔に緊張感を漂わせた受験生たちが来始めた。その中には百合ヶ丘学園の中学生も混 ざっている。
 百合ヶ丘学園は、エスカレーター式だが、外部生と同じ試験を受けなければならない。これで不合格ということはないが、成績別のクラス編成になるため必須 だ。
 同じ学園とはいえ、中等部の生徒が高等部の校舎へ立ち入ることはまずない。試験会場となる見取り図は渡されてはいるが、なぜか見取り図を見ても教室に辿 りつけない者がでてくる。そのための案内役を生徒会でしている。
「凌先輩、おはようございます」
「ああ、西条。おはよう。がんばれよ」
 中等部での生徒会の後輩だった西条に声を掛けられた。
「やっぱり俺英語ダメですよ……」
 自信なさげな表情を浮かべる西条は、根っからの理系気質で文系科目を苦手と思っているが、全体的な成績はいい。中等部では学年トップだったはずだ。
「お前なら大丈夫だろ」
「そんなプレッシャーかけないでくださいよ……」
「ほら、あと20分あるから、落ち着いて見直しておけ」
「はあい」
 西条を見送り、見取り図を見ながらキョロキョロしている子にあっちとか2階とかそれぞれに案内しているうちに9時を回った。
 これから来る子たちはかなり焦ってくるだろう。30分遅らせるということは学校ホームページには載せたが、受験生各々に連絡しているわけではない。おそ らく各中学校には連絡はいっているだろうが。
 それでもやはり電車遅延もなかったからか3,4人が9時過ぎてから来たものの、15分を過ぎたら人が来る気配もなくなった。
「なあ、しのぐー」
 反対側の階段にいた慎がその場から呼びかけてきた。
「さすがにもうそろそろよさそうじゃね?」
「……そうだな。もう20分過ぎたか」
 俺のその言葉で慎がこちらへ向かってくる。
「さすがにみんな早めに来てるだろうから、あんまり遅れてくるやつとかいなそうだし」
「まあ、もともとは9時開始だったからな」
「もう撤収でいいだろ」
 俺に同意を求める。自分が判断したのではなく、二人で判断したという確認だ。
「そうだな」
「やりっ」
 慎はなんだかんだ言っても仁が俺にそうそう文句を言わないのを知っているから、こういう判断が必要な局面では必ず俺の同意を求める。さっさと生徒会室へ 向かう後ろ姿に苦笑が漏れた。念のため30分になるのを見届けてから管理棟にある生徒会室へと向かった。
 生徒会室にはすでに撤収してた俺以外の全員が揃ってた。
「ほら、やっぱり凌は30分までいたみたいね」
 藤井先輩の言葉に仁が悔しそうな顔をしている。
「なに、また賭けてたの」
 呆れた。いつもこの人達はなんだかんだで賭けて遊んでいる。その対象に今回は俺が持ち場を離れるタイミングがあがっていたようだ。
「会長だけが早めに切り上げるって賭けてたんだよ」
 滝田の苦笑いに仁が悔しそうな表情を浮かべた。
「だって、あれじゃ賭けにならないだろう。全員あっさり30分まで離れないって言うんだから」
「9時過ぎてから来る人が全くいなければ15分で切り上げたけど」
 俺の一言に慎が笑う。
「そうだよね、凌、無駄な時間過ごすの嫌いだもんなー」
 それには答えず、荷物をまとめ始めた俺を見て仁が溜め息を吐く。
「じゃー、本日は解散。明日終わり次第集まって。」
「仁、打ち上げは奢りだからね!」
 生徒会室を出て行く仁を藤井先輩の声が追いかけた。
「じゃあ、俺もお先」
 一言残し、生徒会室をあとにした。そのまま2階に降り、図書室を目指す。借りていた本を返却し目当ての本を借り出す。今日は高等部自体が休みだから司書 もいないが、返却も貸し出しも勝手を知ってるため自分でやる。どうせ司書も夕利の縁者だ。今更文句も言われない。
 目当ての本を探すのに意外と手間取り、時計は10時を示している。今日はまっすぐ帰ろう。
 図書室がある管理棟を出て、本館へ向かう。1階へ降りたところで誰かの足音が聞こえた。まだ誰か生徒会のメンバーが残っていたのだろうか。あいつらなら 用事がなくなればさっさと帰っていそうだけど。
 10時過ぎて遅れて来た受験生ということはないだろうと思いつつ足音の方を見た。うつむき歩く一人の女子生徒の姿が眼に入る。
 あのコートは白銀台女学院のものか?なんでこんなところに……それにしてもなんか歩き方が変だな。ふらついている?
 こちらの気配に気がついたのか、女子生徒が顔を上げた。口元を手で覆っているため顔の半分は隠れていたが、はっきりとした顔立ちが見て取れる。その目に は力も表情もなかった。顔色も悪い。悪いというか蒼白ってこういうことかと一人納得した。
 白銀台女学院の中学生が百合ヶ丘学園を受験するとは考えにくい。白銀台も一貫教育が徹底され、大学まである学校だ。
「なにかご用ですか?」
 思わず声を掛けていた。自分から他人に声を掛けるということはまずしないのに、なぜそんな行動に出たのか自分でもわからなかった。
 女子生徒は表情を変えることもなく、視線を自分の手元に移した。その手には校内の見取り図と受験票。
 白銀台女学院から外部受験!?っていうか、もう10時回ってるし1教科目のテストの残り時間は30分切ってる。これから受験するにしても、その制服姿で遅 れて教室に入れるのは忍びない気がした。そしてこの顔色だ。
「もしかして具合悪い?」
 少し頷いたように見えた。
「保健室でも受験できるから。こっち」
 どうしてそこまでしようとしているのかが自分でもよくわからなかった。女子生徒は相変わらず言葉もなく、表情もない。それでも俺が行く方向へ体を向け た。
 また管理棟へと向かう自分の後ろを音もなく歩いて来るのを何度か確認しながら保健室を目指す。ずっと口元を抑え、ふらつくのかおぼつかない足取りで黙っ てついてきた。
 高校受験のころはやはり寒い時期でもあるため、体調不良で保健室受験をする生徒もいる。そのため保険医は出勤しているはずだった。
 軽いノックに中から返事があった。
「具合悪いようなんですが、遅刻してきたみたいで」
 そう言いながら後ろにいる女子生徒を見やる。
「あらあら、こんな雪だったからねー。今からだとちょっと時間ないけど、ここですぐ受けられるから安心してね」
 小さく頷き、初めて口元から手を外した。人形みたいな子だな。喋らない、笑わない、顔に表情が見えない。でも、なんだか目が離せなかった。
「夕利くん、案内ご苦労様」
 保険医ににっこり言われ、自分がいれば試験が始められないことに気がつく。
「あ、じゃあ」
 そのまま帰ろうと思ったのに……
「時間少ないけど頑張って。4月に待ってるから……」
 俺、何言ってるんだ?
 自分の言動に驚いた。その女子生徒もまさか見ず知らずの男にこんな事言われるとは思いもしなかったのだろう、目を見開き驚いたような表情を浮かべた。
「……はい、ありがとうございます」
 小さな声ではあったが、俺にそう言うと微かに笑みが広がった。
 息が止まりそうになった。
「失礼します」
 慌てて保健室を出る。なんだ、今の。俺なんでこんなにドキドキしてるんだよ。
 登校したときと同じ道をまた戻る。雪はもうやみ、青空が拡がっている。屋根や木々に積もった雪が風に煽られ空に舞った。
「風花か……まるで桜の花びらだな」
 あの子がきっと入学するのはかなり難しいだろう。百合ヶ丘学園の入試はそんなに易しくない。白銀台女学院も名門とされるが、それは所謂お嬢様学校というこ とだ。偏差値は特別低いわけではないが、百合ヶ丘学園とは比べるまでもない。残り時間30分切っていた上に、体調も優れなそうだった。
 それでも、白銀台は優秀な学校のはずだ。なぜそのままエスカレーターで上がるのではなく、うちを受けるのか。うちの学校でも、高校を外部へ受験する 者もいないわけではない。ただ、その場合は親の収入の変化であったり、海外への転勤であったりすることが常だ。
 同じ私立、白銀台も百合ヶ丘も授業料とかにさほど差はないだろう……あの学校に通えない?
 あの表情のなさを思い出すと同時に彼女の体つきを思い出す。コートの上からでもはっきりと分かるその細さ。
 ……俺はいったい何を考えているんだ?もしかしたらもう二度と会うこともないかもしれないのに……いや、会う可能性はある。彼女は少なくともうちの学校 を受験した。入学する可能性はゼロではない。
 自分が可能性論を考えている事に戸惑った。それでも、たまにはこういうのもいいのかもしれないと思い直してみる。なんだか自分らしくない思考の行方に可 笑しくなった。

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