整然と並べられた椅子の向こう、ステージの脇で仁が進行役の先生と打ち合わせをしていた。在校生代表挨拶の最終確認でもしているのだろう。入学式開始まであと30分。もうほとんどやることもなくあとは新入生を待つだけだ。俺に少し遅れて他の生徒会役員たちも続いて来た。
 教師席の後ろに生徒会役員用の席が用意されている。その一つに腰を下ろす。そろそろ父兄も来始めるだろう。式次第を再び眺める。篠森美桜。何度見てもそこで目が止まった。
 まだ何人かの教師がうろうろ歩いている中、何組かの父兄が来場した。そのうちの一組が目に入った瞬間、考える間もなく体が動いた。
「凌?」
 慎の言葉を無視して、その一組へ向かう。
「お、凌くん。そっか、生徒会役員は入学式に出席するんだったな」
 篠森さんと一緒にいた少年は百合ヶ丘学園の初等部の制服を着ていた。緊張した面持ちで俺と篠森さんを見比べている。
「新入生代表挨拶するから見ないとと思ってな」
「じゃあ、やっぱり……」
「うん、美桜がもう一人の従兄妹。こっちが蒼。蒼も今日入学式だったから、こっちのは美桜と行ってたんだ」
 そう言って隣に並ぶ少年の頭を撫でた。人形みたいな顔に多少の表情はあるものの、あの入試の時に出会った少女とよく似ていた。弟と聞かなければ性別の判断に悩みそうだ。
「ほら蒼、挨拶しなさい。うちのお隣に住んでる凌お兄ちゃんだよ」
「……こんにちは」
 幼い声はあの少女のものと重なった。ありがとうございますというたった一言聞いただけだったが、あの少女が篠森美桜だろうと確信した。
「こんにちは」
 小さな子供と接する機会がなかった俺にはどう対応したらいいかわからず、ただ同じ言葉を返しただけだった。蒼というその少年の眼差しに値踏みされているような感覚に陥る。子供が持つ目ではないように思えた。
「あ、そうだ。今日の夕飯一緒しない?」
 蒼から目を外せないままでいた俺は篠森さんが放った言葉の意味を理解するまで少し時間がかかった。
「……はい?」
「今日、入学祝いってことで兄貴と蓮花さんもくるんだ。だから、凌くんも一緒にぜひ」
「姉さんも来るんですか?」
「うん、18時頃には来ると思うよ。美桜にも紹介しておきたいし」
「わかりました」
 あの子にまた会える。それだけで快諾の返事が出た。
「うん、じゃああとでね」
「はい、お邪魔します」
 ちらほらと父兄席も埋まり始めている。俺は一礼してまた元の席へと戻った。
「知り合い?」
 戻るなり慎が興味津々という様子を隠すこともなく聞いてくる。
「ああ、家のお隣りさん」
 新入生代表の身内だと説明しようかとも思ったが、なんとなく知らせたくないような気がしてそのことは伏せた。
「それにしてもずいぶん格好いいというか、若いというか……周りの母親たちチラチラ見てるぞ」
「親の代わりに来てるみたいだよ」
 ふうんと納得したようなしてないような返事を寄越し、慎はまだ篠森さんを見ていた。
 確かに篠森さんは目立つだろう。見た目もそうだが、一般的な昼の職業を持つ人とは纏う雰囲気が違う。一見しただけでは、その職業の見当がつかない。
 あの洋風の顔立ちは篠森の家系なのだろうか?篠森さんもその兄の伊澄さんもそうだ。そして篠森美桜と蒼も。
 いよいよ時間も差し迫り、父兄席もほとんどが埋まっていた。一列前の教師席もほぼすべての教師が腰をおろし、仁も俺達と同じ列の席についた。
「これより、百合ヶ丘学園高等部第62回生、入学式をとり行ないます」
 ざわついていた会場がマイクを通した開式宣言により静まり返る。そのまま司会は新入生の入場を告げる。
 首席なら間違いなくA組の先頭に立っているだろう。
 ここからだと少し離れてはいるが、間違いなくあの子だとわかった。離れていてもその表情の無さが確認できる。そこでふと思い出した。あの子、1教科は20分程度の試験時間だったはずだ。それで首席だと?
 むしろ時間が足りなく思った自分の入試の時を思い出した。百合ヶ丘の試験はいつでも問題数がやたらと多い。遅刻した教科の得点が半分の50点だとして、他のす べての教科を満点にしても450点。合格圏内にはもしかしたらなるかもしれないが、首席はあり得ない。篠森美桜に対する興味が深まった瞬間だった。
 A組の面々を見るとその中には西条も、藤井先輩の弟の姿もあった。生徒会に入る今年の1年生はこの3人になるだろうと予想する。西条と由貴は中等部でも生徒会役員だったから問題はないだろうが、あの篠森美桜はどうだろう。
 高等部からの入学。学年首席。それだけでもかなり注目されるだろうが……
「あんまり人とコミュニケーションが上手にとれない子たちだからさ……」
 篠森さんの言葉を思い出す。白銀台女学院という女子高育ちの篠森美桜がすぐに溶け込めるとは考えにくい。その前に果たして生徒会へ入ることを承諾するだろうか?
 そんなことを考えているうちにいつの間にか学園長の式辞も来賓の祝辞も終わり、壇上に仁が立っていた。もともとの無愛想さでそういう人前に立つのを乗り切る俺とは違い、仁はにこやかに笑顔まで見せ、そういう場面をこなす。
 人前に立つ仁を見るたび、やはり自分よりも仁のほうが夕利の後継者として相応しいと思ってしまう。
「皆さんが一日も早くこの学校に慣れるよう、在校生一同、応援しています。以上を持ちまして私からの歓迎の言葉とさせて頂きます」
 壇上に立つ仁が頭を下げた。続けて新入生代表挨拶になる。名前を呼ばれた篠森美桜が「はい」と返事をして壇上へ向かった。
「本日は、私たち新入生のためにこのように盛大な入学式を催して頂き、まことにありがとうございます」
 少しうつむき手元の原稿を見ながらしゃべり始めたが、読み上げているという様子ではない。緊張している様子もなく、淡々と話すその声にはあまり抑揚がなく、投げやりな感じにも受け取れる。
「本日はまことにありがとうございました」
 無表情に、無感動にそう締めくくられた代表挨拶に送られる拍手は篠森美桜に対しての戸惑いも含まれているように聞こえた。新入生は明らかに一瞬ざわついた。おそらく中等部からの入学生だろうが、篠森美桜という存在が異分子化されるきっかけが早くも生まれた。そう思った。
「なんか……温度のない子だなあ」
 慎がとなりで呟く。温度がない……確かに。俺が人形みたいと思ったのも、顔立ちのことだけでなく、感情が一切見えず、生きている気配のようなものが感じられなかったからだ。
 俺自身もそんなに感情を表に出す方ではないが……なんというか、次元が違う。感情を出す出さないということではなく、感情がないように見えた。あの日最後に見せた一瞬の微かな笑顔はそれを否定する材料となるのだろうか。
 閉式が宣言され、新入生が退場すると、それに父兄も続いた。俺の視線に気がついた篠森さんが軽く手を上げて出て行った。
「あれ?伊吹さん?」
「そう」
「あっ。篠森美桜ちゃん?」
「そう」
「……お前ら、何その会話。っていうか、会話っていっていいのかわからんけど」
 チカラ先輩が俺と仁のやりとりに苦笑いしている。
「俺達はこれで通じるのよ」
「会長、そういうのやめてください」
「あ、凌くん、冷たい」
「会長。さっさと片付けますよ」
「凌くんってばー」
 仁がこの調子になると面倒くさい。さっさとその場を離れて会場の片付けにとりかかった。
 教師全員と生徒会役員でこの会場の片付けをしなければならない。準備よりは片付けのほうが早く終わるだろう。15時くらいには帰れるか。
 予想通り15時前には片付けが終わり、荷物を取りに生徒会室へ向かう。
「あ、凌。おかえり」
 生徒会室には既に藤井先輩とその弟由貴がいた。
「凌先輩、こんにちは」
「こんにちは」
「今ね、篠森美桜ちゃんの話してたとこだったのよ」
「ああ、由貴と同じクラスですね」
 由貴が無言で頷いた。その様子に不穏な空気が混ざっていることに気がついた。
「あの子、ちょっと大変かも」
「大変って……?」
 由貴の幼い顔が曇った。藤井姉弟は共に顔立ちが幼い。藤井先輩も高校3年生にはみえないし、弟の由貴もやっぱり高校生には見えない。まあ今日から高校生なのだから、それが当たり前なのかもしれないが。
「んー。コミュニケーションが取れないというか、取らないというか……」
「生徒会、入ってくれるかしら?」
「難しいと思うよ」
 由貴の話によれば、入学式の後、教室では彼女の周りに人が集まったそうだ。それも当然だろう。外部からの入学者でしかも学年首席の女生徒。皆から興味は持たれるだろう。
 出身中学や住まい、家族のことなど色々な話題を振られたが彼女は無言のままで、唐突に「弟が待っているので帰ります」とだけ告げて教室を出たそうだ。
 その後、周りを取り囲んでいた生徒たちの不満がかなり大きかったらしい。その中心にいた女生徒の一人がちょっと厄介な存在だと言う。
「気の強い子なんですよ。幼稚舎の時から知ってるんですけど……周りに人を従えたいタイプで。まあ典型的な女の子リーダータイプというか。幼稚舎からいるって選民意識みたいなのがあって」
 想像はできる。女子特有のグループ意識。理解はできないけど。
「だいぶおカンムリだったから……入学早々面倒なことにならないといいんですけどね」
「凌、知ってる子なんでしょ?」
「いや、知ってるわけではないですけど……」
「あれ?仁がそう言ってたよ」
「姉の婚約者の従兄妹ってだけで、面識があったわけでは……」
 入試日のことを思い出したが、あれくらいで面識があるとは言わないだろう。
「そうなんだ……候補が上がってきたんだけど、あの子以外みんな男の子だから、彼女が生徒会に入ってくれたら私は嬉しいんだけどなー」
 藤井先輩が口を尖らす。
「あ、もう候補上がったんですか?」
「うん。彼女のほかは由貴と西条くん。あと外部生が二人」
「まあ、二人は由貴と西条で決まりでしょうね」
「そうねー。だから女の子入って欲しいんだけどな」
「篠森さんってどこの中学校だったんだろう。全国模試とかで名前みた記憶もないし……」
「白銀台女学院だよ」
 由貴の言葉に口が滑った。
「えっ!?」
 藤井先輩と由貴が目を丸くする。
「白銀台!?なんでわざわざうちにきたの!?」
「……さあ。でも事情ありそうだったけどね」
 この人達は無闇矢鱈と人に立ち入る人ではないから大丈夫だろうと思うが、仁の耳に入ったらちょっと厄介そうだなと後悔する。仁の彼女の中には一人くらい白銀台の子がいそうだ。
「俺もそれ以上のことは何も知りませんけどね」
 じゃあ俺はこれで、と生徒会室を後にした。

<< | >>

web拍手 by FC2

inserted by FC2 system