「じゃあ、蒼はこの白菜をこれくらいの幅に切って」
 一枚ずつバラした白菜を渡し、3cm位の幅を示す。蒼の手に調理バサミは大きそうだが、丁寧に切り始めた。
「手、切らないように気を付けろよ。ゆっくりでいいから。美桜はこっちの野菜全部みじん切りにしてくれる?」
「あ、はい」
 キッチンが広くてよかったと初めて思った。L字型に配置されたシステムキッチンは4つ口のガステーブルと作業スペースを両脇に大きめのシンクがある。そ してキッチンの中央には作業用にも使えるテーブル。蒼はそのテーブルの端で白菜を切っている。その反対側で美桜がまな板とボウルを並べて野菜を切り始め た。
 オムライス用に玉ねぎとピーマン、人参を美桜が今切っているから……二人の作業を見ながらベーコンと、ラップにくるんで小分けにされていたご飯、卵を冷蔵庫から、鶏もも肉を冷凍庫から取り出す。
 鶏肉をレンジに解凍させ、ボウルに卵を5個割り入れる。ブロックベーコンを少し厚目に削ぎ切り始めたところで蒼の声が聞こえた。
「終わった……」
「終わった?お、キレイに切れたな。じゃあ、次は……」
 美桜ももうすぐ終わりそうだな。
「このベーコンをこれくらいの幅に切って」
 蒼が任せてと言わんばかりの顔で頷く。
「美桜、それ終わったら玉ねぎもう半分お願い」
「あ、はい」
「太めのスライスでいいよ」
 ちょっとはにかむような笑みを見せ、再び包丁を手にする。
 けっこう手際いいよな。料理は誰に教わったんだ?
「美桜、料理ってどうやって覚えた?」
 両手鍋とフライパンを用意しながら聞いてみた。
「あ、あの……2年生くらいまでお世話になってた方に……私、お料理しているところずっと見てたんです」
 見てたからって出来るようになると限らないと思うが、蒼の面倒をみるようになってからは実践してたか……
「茉莉さんが来てからは何度か一緒に作ったこともあって……あとは家にパソコンもあったから、いろいろ調べてみたり……」
 茉莉さんって蒼の母親か……?姉は名前を出してはいなかったが、おそらくそうだろう。
「あ、パソコンあったんだ。勉強も?」
「勉強はほとんど教科書だけで……でも、パソコンなかったら大変だったと思う。パソコンって言うかインターネット、ですね」
「まあ、ネットは便利だよな」
 俺自身もよく問題を漁ったり、興味ある分野の勉強に役立てていたりする。
「あれなかったら、離乳食とか作れなかったと思う」
「離乳食って……6年くらい前か?」
「そう、かな。3年生くらいの頃だったと思う」
 俺が毎日家と学校と、習い事の稽古場へ行ったり来たりしていた頃、美桜は蒼の面倒を必死に見ていたんだな。姉の話に衝撃を受けたが、こうやって本人の口から聞くと自分との境遇の違いをみせつけられる。
 美桜だって、本来ならそうとう恵まれた生活を送ることができたはずだろう。篠森家三男の娘として、それこそ蝶よ花よの生活をしていても全くおかしくない。
 たしか篠森は男系で、次男も息子二人で娘はいなかったはずだ。唯一の女の子で可愛がられただろうに、なぜ、こんなことになるまで誰も美桜を救いだせなかったのだろう……
「茉莉さんの育児本見ながら、ネットで検索したりとかしてました。おかげで特技は育児と検索かも」
 クスリとこぼした笑いに陰りはない。学校に通えなくなったことも、親からのそんな仕打ちも、蒼の面倒をみてきた生活そのものを受け入れているのだろう。
 ただ、蒼以外の人と接することが極端に少なかったために、人とのコミュニケーションが上手くとれないだけなのではないか……?
「ベーコン、おわったよ」
 蒼の言葉に美桜が微笑む。
「蒼、ちゃんと切れたね。エライ、エライ」
「うんっ、ちゃんと切れた」
 美桜にほほえみ、その後に俺の顔色をうかがう。その表情の変わり様に苦笑が漏れる。さすがにまだ美桜と同じに扱ってもらえるわけがないか。
「うん、上手だな。白菜とベーコンはスープに入れるから」
「スープ!」
 蒼が嬉しそうに笑う。きっと、蒼も美桜と同じなんだろう。どうやって人とコミュニケーションを取るのかを知らない。二人ともこれから始まるんだ。
「美桜、こっちでスープお願い。ベーコンと玉ねぎを先に炒めてから、白菜入れて、火が通ったら牛乳。一煮立ちしたらコンソメ加えて、塩コショウ」
「あ、はい」
 切り終わった野菜を受け取り、美桜に鍋と牛乳、コンソメを渡す。
 俺は解凍し終わった鶏肉にフォークをブスブス刺してからクレイジーソルトを揉み込む。フライパンに油をひかずにその鶏肉を乗せた。
「油、いらないんですか?」
「ああ、皮目を下にして動かさないでいると油出てくるから。その油で十分」
「そうなんだ……」
 隣でベーコンを炒めながら、興味津々という様子だ。俺もそうだけど、美桜だって誰かと料理をするなんて機会はほとんどなかったに違いない。
「伊吹さんと一緒に作ったりはしない?」
「伊吹さんは……あんまりさせてくれないです」
 白菜を鍋に入れながら美桜が小さく笑う。
「凌と正反対、かも」
「正反対……?」
「凌はこうやって、させてくれるところが優しいと思うの。でも、伊吹さんはさせないところが伊吹さんの優しいところなのかなって」
「……俺がこき使ってるように聞こえる……」
「違うわ」
 冗談めかして言うと、美桜が慌てて否定した。
「わかってるよ。冗談だ」
「ひどい」
 ひどいと言葉では責めながらも、それは本気ではないようだ。皮目に焼き色がついたのを確認してから、鶏肉を裏返す。
「そろそろ牛乳入れてもいいかしら?」
「ああ、そうだね。その牛乳、全部いれちゃっていいよ」
 白菜がくたっとしてきたところに牛乳を入れて、そのまま煮立つのを待つ。
「それ煮立ったら、一度火を止めて、コンソメ入れて」
 ほぼ焼きあがった鶏肉をフライパンからまな板へ移し、賽の目に切る。
「コンソメ、入れたらあとはどうしたらいいですか?」
「ああ、軽く混ぜて、奥に置いといて。あとこのご飯あっためてくれる?」
「はい」
 鶏肉を焼いていたフライパンを再び火にかけ、少し油を足してから、美桜に切ってもらった野菜を炒める。
「じゃあ、冷蔵庫の野菜室にたぶんレタスあると思うから、何枚かちぎって水にさらしておいて」
 こうやって手伝ってくれる人がいるならちょっと凝ったものを作ってみるのもいいかもしれない。
「オムライスとサラダ、ワンプレートにするから。この皿に付け合わせられるくらいの量でいいよ」
 食器棚から皿を3枚取り出し、美桜に見せる。
「食器、たくさんあるのね」
「ああ、ここ前は姉さんも住んでたし、俺が小学生の頃までは両親もこっちに住んでたからね」
「そうだったんだ……」
「中等部に上がった頃に祖父さんが死んで、親は本宅に移ったんだけど、本宅ここから1時間半かかるんだ」
 しんなりしてきた野菜に、さっき切っておいた鶏肉を加え煽る。
「美桜、オムレツいける?」
「小さめのフライパンがあれば……」
「そっちの下に入ってるから。その前にレタス水から上げておいて。で、冷蔵庫の中にタラモサラダが入ってるから、皿の端に適当に盛っておいて」
 盛り付けとオムレツは美桜に任せることにし、フライパンにご飯を入れてからは一気に仕上げる。ご飯と、先に炒めていた具材が馴染んだところに、鍋肌に白ワインを少し落とす。ジュッと一気に湯気が上がると、後ろで蒼の小さな歓声が聞こえた。
 美桜は3つの皿にちぎったレタスとタラモサラダを盛りつけ終わったようで、卵を溶きはじめた。
 蒼リクエストのオムライスだし、ケチャップの味付けのほうがいいだろう。ケチャップと隠し味に中濃ソースをほんの僅か入れ、手早く混ぜあわせ、火を止めた。
「凌、早い……」
「え?」
「合わせようと思ったのに……」
 炒め終わるのに合わせようと思っていたが、予想より早く出来上がってしまったのだろう。少し悔しそうな表情を見せた。
「いや、いいよ。分けておくから、その間にやっちゃって」
「うん……」
 3つの皿に盛り分けようとしてふと悩む。蒼と美桜はどれくらい食べられるのか?
「蒼、食べられる量でストップ言えよ」
 両手にフォークとナイフを持たせたらさぞかし似合うだろう。テーブルの上で両手を握り締め、待ちきれない顔をしている。
「……もっと食えるか?」
「ちょっと、蒼。こんなに食べられないでしょう」
 振り返った美桜が呆れた声を出した。
「……食べれるもんっ」
「じゃあ、残しちゃダメよ。凌、もう十分よ」
「わかった。美桜はどれくらい?」
「その蒼のと同じくらい」
 うん、つくり過ぎたな。この3人での食事の量は慣れるのに時間がかかりそうだ。姉は料理するのも好きだが、食べるのも大好きで、放っておくといつも何か 食べている。1度の食事も俺とたいして変わらない量をたいらげる。姉と同じ感覚で作ってはいけないということを失念していた。
 チキンライスを取り分け終わる頃にオムレツが一つ出来上がった。小さな、蒼用のオムライスだ。
「先に蒼のでごめんなさい。ちょっと小さいので試しちゃいました」
 照れ笑い混じりにそう言いながら、オムレツを蒼の皿に乗せる。中身も調度良い半熟になってそうだ。
「よし、蒼。みてろよ」
 ナイフでオムレツを縦に切れ目を入れて開くと、今度はしっかりと蒼が歓声を上げた。
「すごーい。フワフワしてるっ!!」
「美桜ちゃん、オムレツ上手だなー」
「うんっ、みおちゃんすごいでしょ」
 自慢気に蒼が鼻息を荒くした。
「もう一つオムレツできたよー」
 美桜がそう蒼に言いながら、オムレツを盛り付ける。蒼が「ふわふわ?」と言いながら、見つめてくるもんだから、本当はこの間に洗い物を済ませておきたかったんだけど、またさっきのと同じようにオムレツを開いて見せる。
「すごいねー」
 あ。うっかり忘れるところだった。スープの存在を思い出し、コンロの火をつける。
「あ……」
「なに?」
「私、すっかりスープの存在忘れてた。目の前にあったのに……」
「いや、俺も忘れてたし」
 切った野菜を入れていたボウルやまな板を軽く水で流してから、食洗機へ突っ込む。
「蒼、あっちのテーブルに自分の皿持っていけるか?」
「うん」
「じゃあ、皿だけでいいから持ってって」
 両手で大切そうにオムライスを抱え、ダイニングのテーブルへ向かう蒼の小さな背中が嬉しそうだ。
「お待たせしました、三つ目」
「また蒼の前で切ってやるか」
「いや……、もう忘れてると思う」
 苦笑いを浮かべる美桜に俺もつられて苦笑が漏れる。
「じゃ、その二つ持ってって。俺スープ持ってくから」
 美桜にオムライスの皿を二つ預ける。
「あの、スプーンってどこ?」
「ああ、そっちの引き出しに入ってる」
 俺が示した場所を見て、美桜がふふっと笑った。
「なに?」
「うちと同じ場所」
「ああ、そういうこと」
 ここのキッチンは食器棚も備え付けだ。まあ、限られているスペースではしまう物の場所も似通ってくるだろう。
「蒼、おまたせー。さあ、食うぞ」
「くうぞー」
「こら、いただきますでしょ」
 俺の口調を真似た蒼が叱られる。こどもって不思議と親がダメという言葉ほどすぐに覚える。蒼の前では気をつけよう。
「スミマセン、イタダキマス」
「イタダキマス」
 俺が言い直すと、蒼も真似て言い直す。美桜がハッとしたように顔を赤らめた。
「やだ、凌に言ったんじゃないのに……」
「まあ、でも。俺も気をつけるよ。蒼、真似しちゃうかもしれないし」
 俺がこういう態度に出るなんて学校の奴らは想像もできないだろうな……仁も慎も目を丸くしそうだ。藤井先輩は……あの人の場合あまりにも色々なことを想 定しているから、予想の範疇だとでも言いそうだけど。同じ血がながれている由貴もそうなるのだろうか……ある意味今年の生徒会はなかなか楽しめるかもしれ ない。
「みおちゃんっ、すっごくおいしー!!ありがとーっ!!」
 蒼の高い声が部屋に響いた。
「どういたしまして。蒼、凌お兄ちゃんにもありがとうでしょ」
「しのぐお兄ちゃん、ありがとう」
「どういたしまして」
 餌付けしたような気がしないでもないが、こうやって美味しいと礼を言われるのは素直に嬉しい。
「私も、いただきます」
 そう言って美桜がスープに口をつけた。
「美味しい……牛乳とコンソメだけなのに、こんなに美味しいのね」
「ああ、最後にちょっと塩コショウはしたけど。簡単でいいだろう」
「風邪引いた時とかもよさそう……」
「ベーコンじゃなくてハムでもいいし、白菜じゃなくてキャベツでもうまいよ」
「凌はどうやって料理覚えたの?」
「俺は……俺も美弥子さんのよく見てたな。美弥子さんってここにも通ってもらってるんだけど。あとはやっぱり外食の機会も多いから、外で食べたのを家で試してみたりして。基本的に料理好きなんだ」
「そうなんだ……」
「姉さんもよく料理するし。まあ、あの人は食べる方も相当だけど」
「蓮花さん……」
「そう。下手に仲良くなると、あちこち連れまわされるから気をつけたほうがいいよ」
 不思議そうな顔をしているが、これ以上前情報を与えて警戒あうるようなことがあったら後で俺が姉に何を言われるかわからない。
「まあ、悪い人じゃないから。それは俺が保証する。あと……今日蒼と一緒にいた由貴。あいつと、帰り呼び出してくれた西条。あいつらも信頼できる」
「藤井くんと、西条くん……」
「あいつらもたぶん生徒会に入ることになる。美桜の高校生活3年間身近な存在になるんじゃないかな」
 曖昧な笑い方が引っかかった。
「まあ、急に共学になって、接する人間が増えて慣れるまで大変だろうけど。早く馴染めるといいな」
「……そう、ですね」
 気を取り直すように、唇をキュッと結んだ笑い方はちょっと無理をしているようにも思えた。

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