翌朝、教室の中はあと数分で試験が始まるというのにざわざわと落ち着かなかった。原因は篠森美桜。二日目にして彼女はこの学校で目立つ人ベスト3に仲間入りした。
 創設者の身内である仁先輩と凌先輩は、夕利という名前抜きにも目立つタイプだ。
 仁先輩も凌先輩も整った日本美男子という顔立ちに加え、成績優秀。まあ、この二人の性格は対照的だと思うけど。
 バスケ部の中心的存在でみんなと爽やかにボールを追う仁先輩と、フェンシング部で黙々と剣を振り戦う凌先輩。その二人と一緒にいることが多い姉さんがベ スト3のもう一人だった。自分の姉がそういう対象とされているのはなんとも気恥ずかしいが、あの3人は憧れという的だったろう。
 それが凌先輩と共に篠森さんが今朝登校したことによって崩れた。喜多村を中心に集まっている何人かの女子が無遠慮な視線を篠森さんにおくっている。
 豊がその喜多村たちを睨みつけていた。
「俺、こんなクラスで1年過ごすの嫌だ……」
「それは僕も同感だよ。でも……」
 豊が舌打ちする。雰囲気が悪いのは僕だって嫌だ。でも、ここで直接庇うようなことをすれば、それはきっと中等部の頃と同じ結果しか産まないだろう。それを知っているから豊ももどかしいんだ。
 だいたい、凌先輩はなんだって篠森さんと一緒に来たんだ?あの人なら自分の行動によって人にどんな影響を与えるかとか、どんな思いを抱かせるかとか考えないわけない。
 一体、篠森美桜って何者なんだ?凌先輩にとって、彼女はどういう存在なんだろう。お姉さんの婚約者の従兄妹、それだけじゃないような気がする。
 試験は上の空のまま終わってしまった。ああ、今回は5位以内に入れないかもしれない……3教科目の試験が終わると、溜息が漏れた。
「ねえ、篠森さん」
 喜多村の声に振り返る。
「凌先輩と知り合いなの?」
 篠森さんから言葉は返ってこない。でも、少し困ったような表情にも思える。
「ちょっと、なんで無視するの?」
「首席だからって、私たちのことなんてバカにしてるの?」
 バカにしなくてもバカだろう。こんなやりとりして、恥ずかしいと思う感覚はないのか?まあ、それがないからバカなのか。
 僕の今日何度目かの溜息と同時にガタン!と物凄い音が響き渡った。
「お前ら、馬鹿か。よってたかって初対面の人間にそんな問い詰めて。なにこれ、取り調べ?」
 豊の怒声が続いた。ああ、我慢ができなかったか……豊はそばにあった椅子を蹴り飛ばして教室を出て行った。この収拾をどうやってつけるか……
「……喜多村さん」
 豊の様子に呆然としている喜多村さんたちに声を掛ける。篠森さんも動けずにいた。
「篠森さん、凌先輩の親戚になるらしいよ。お姉さんの婚約者の身内なんだって」
「……え?」
「ね、篠森さん。そうなんでしょう?」
「……はい」
 小さな声だった。喜多村さんはまだ呆気にとられていたけど、篠森さんの声にハッとしたようだった。
「……っ、最初からそう言えばいいじゃないっ」
 悔し紛れにそう言い捨てた。
「喜多村さん、そんなこと言ったってさ。僕たちはみんな篠森さんのこと、昨日の代表挨拶でわかってるけど、篠森さんは昨日全員とはじめて会ったんだよ。まだ名前も知らないような人たちと気軽に自分のこととか話せないでしょう」
「…………」
 喜多村さんは無言だった。
「まあ、せっかく同じクラスになったんだし、これからゆっくり仲良くなっていけばいいんじゃない?」
「篠森さん、ちょっと」
 いつの間に戻ったのか、豊が篠森さんを手招く。豊のいいところは切り替えが早いところだと思う。
「呼んでる」
 豊の言葉に彼女も思い当たることがあったのか、ああ、という風に頷いた。ドアを出て行く後ろ姿を皆言葉もなく見送る。たぶん、ドアの外にいるあの姿は凌先輩。
 凌先輩は面倒見はいいと思う。でも、自分から面倒を見るタイプではない。やっぱりなんかあるのかな。
「なんなんだろうな」
 豊も同じような疑問をもったのだろう。
「お姉さんの婚約者の従兄妹ってしか僕は聞いてないよ」
「ふうん」
 人の噂とかにあまり頓着しない豊らしい気のない返事だった。
「あ、喜多村。悪かったな、さっきは怒鳴って。でも、お前らのああいうのどうかと思うよ」
「……っ、でもっ。篠森さんが無視するから……」
 威勢よく言い返そうとしたくせに、最後はゴニョゴニョとごまかす、そういうのが豊が一番嫌がるのをこの子は長い付き合いでまだわかってないのか。
 バン!と勢い良くドアが開けられ、皆一斉に振り返った。
「篠森っ、美桜いる?」
 篠森さんのようにきれいな顔をした男の人が息を切らせそこにいた。
「篠森さん、ですか?」
 オウム返しに答える豊がちょっと間抜けに見えた。
「そう。篠森美桜」
「……今、凌先輩と出ていきましたが……」
 豊の答えに、凌先輩のことこの人知ってるのか?とついツッコミを入れたくなったが、その男の人は「凌くんと……」と呟いて、少し考える素振りをした。
「図書室か。ありがとう」
 よほど急いでいるんだろう、そう言うとまた走りだした。図書室と言っていたけど、なんで図書室?それに図書室の場所知ってるのか?凌先輩のことも知っている様子だった。
「……あの人もやたらときれいな顔だったな」
 豊が漏らす。二人とも似てるといえば似てる。凌先輩のことも知っているようだった。
「あの人がお姉さんの婚約者なのかな?」
「かもね」
「すっげー和洋折衷な組み合わせ」
「凌先輩とお姉さんが似てればね」
「でも、夕利ってみんな和風じゃね?」
「そうかも」
 図書室といえば、司書も夕利家だ。彼女も和風美人という風貌をしている。
「俺、ちょっと中等部呼ばれてるから行くわ」
「ああ、テニス部?」
「来週練習試合あるらしくてそのことで相談って。何も今日じゃなくてもいいと思うんだけどね」
 中等部だって試験の最中だというのに熱心なことだ。「じゃあ」と豊が教室を出て行く。喜多村さんたちはまだ所在無げに立ち尽くしている。
「さっきも言ったけどさ。まだ2日目だし、篠森さんは誰のことも知らない中で緊張してたりするんじゃない?ゆっくり仲良くなっていけばいいと思うよ」
 幼稚園生や小学生じゃあるまいし、なんでこんなことを言わないといけないだと思いつつもそう言うと、その場にいた女子全員が喜多村さんの顔色を窺う。中学生日記かよ、心のなかで毒づいた。
「……そうね。急ぎ過ぎたのかもしれないわ」
 面白くなさそうにそう言い捨て、彼女たちも教室を出て行った。僕は溜息をつく。結局関わってしまった。まだ何人か残っているクラスメートが遠巻きにそれを眺めていた。
「由貴」
 遠巻きに眺めていた一人、充が声を掛けてきた。
「なに?」
「ごめん」
「なにが?」
「いや、あの……またお前らにさせて。俺も前みたいなのは嫌だ。だから……」
 充が言いたいことは分かった。こいつも中等部の頃を思い出したのだろう。
「ああ、いいよ、別に。豊がちょっと暴走したところもあるし」
「もう見てるだけとかしないから」
「え?ああ。あんなのは僕も嫌だし、頼むね」
 充が力強く頷いた。充はイイヤツなんだけど、ちょっと熱い。中等部の頃は割とおとなしいイメージがあったが、身体が大きくなるにつれ、それとも本来の性格なのか、熱血部分が目立つようになってきた。
 今、自分が何もせずに見ていただけだったのが、たまらなくなったのだろう。これがどういう方向へ向くかはわからないが、皆が見てみないふりをしているよりはいいのかもしれない。
「じゃ、僕もそろそろ帰るね」
 試験中だというのに、まだ校舎内にはけっこう人が残っていた。1階へ降り、高等部の入り口の方へ目をやったときに何か違和感があった。
 その違和感を与えたものにすぐ気がつく。初等部の児童が一人、入り口の外側からこちらを覗いていた。誰かを待っているか、探しているのだろうか?
「どうしたの?」
 誰も声を掛ける様子もなかったので、しかたなく尋ねてみると、その少年が見上げる。
 またか。
 今日はやたらとこの顔に出会うな。
 例えるなら……この子が所謂天使なら、篠森さんはフランス人形、さっきのあの人がギリシャ彫刻?そんなイメージだ。成長の段階が見える。
「誰か待ってるの?」
 篠森さんの弟ってのがこの子なんじゃないかな、とは思ったが一応聞いてみる。が、この少年は無言のまま僕を見つめたままだ。なんだろう、この視線。睨まれてる……?
 とりあえず、職員室にでも連れて行くか?
「蒼っ!?」
 そう思った瞬間、後ろから声がした。
「凌先輩?」
「由貴……なんで蒼と?」
「いや、この子入り口でうろうろしてて。話しかけても何も答えないし。誰かの家族かと思って職員室へ連れていこうかと思ってたんですけど……」
「助かった」
 そう言うなり凌先輩はすぐに携帯電話を取り出し、どこかへ電話をかけ始めた。
「美桜っ、蒼いた。今どこ?」
 ミオって……、篠森美桜?
「1階まで降りてきて。入り口」
 短い通話を終えると、壁に寄り掛かると溜息を漏らす。間もなくパタパタとこちらに走ってくる足音が聞こえてきた。
「蒼っ!!」
「みおちゃんっ」
 駆け寄ってきた篠森美桜が跪いて蒼を抱きしめた。
 なんなんだろう、この光景……また凌先輩がどこかへ電話を掛ける。
「あ、伊吹さん。見つかりました。高等部の校舎へ来てます」
 もしかしたら、さっきのギリシャ彫刻かな?
「わかりました。待ってます」
「美桜、伊吹さんもすぐこっち来るって」
「……はい」
 完全に僕は蚊帳の外だった。
「お前、具合悪くないか?」
 凌先輩が心配そうに篠森さんに話しかける。この人、こんな表情できたんだ。やっぱり凌先輩にとって、篠森さんはただ知り合いってだけじゃないような気がする。
「……大丈夫です」
 その凌先輩に篠森さんも小さな声でもちゃんと応える。
「凌くん、ごめん。世話掛けたね」
 やっぱりイブキというのはさっきのギリシャ彫刻だったらしい。
「美桜も心配掛けさせて悪かった」
 駆けつけてきたイブキさんは、ずっと走り通しだったのだろう、軽く深呼吸してからアオイに向き直った。
「蒼、待っててって言ったのに、どうして先に行っちゃったの?勝手にいなくなったら心配するだろう」
「……だって、火事って。あついって……みおちゃんがいないから……」
「火事……?」
 火事?なんだ、この会話。
「かじって……。蒼、俺が電話で話していたのが聞こえてたんだね。俺が言った『かじ』っていうのは、梶原っていう人の名前なんだよ。あついっていうのも、別の意味があるんだ。ごめんね、嫌なことを思い出させてしまったね……」
 火事にあったことでもあるのか?
「蒼。大丈夫。火事じゃないの」
 篠森さんがアオイと向きあって、言い聞かせる。僕からはアオイの背中しか見えない。
 なんか、天使とフランス人形とギリシャ彫刻の競演を見ているようだな……っていうか、宗教画の中にでも入り込んだ気分だ。
「私がいないときは伊吹さんの言う事を聞きなさいって言ったでしょう?今日みたいに勝手にいなくなったりしたら心配するわ。こうやって心配して伊吹さんも凌さんも蒼のことを探してくれた。もう勝手にしなくなったりしちゃダメよ。わかった?」
 篠森さん、こんなに長い言葉を話せるんだ、と変に感心した。アオイの背中が少し震えた。
「じゃあ、二人にごめんなさいとありがとう、言えるね?」
「……ごめんなさい……ありがとうございました……」
 途中からすっかり涙声でアオイはそう言うと、篠森さんに泣きついた。
「伊吹さん、凌さん。本当にすみませんでした」
「美桜、ごめん。俺のせいだ。俺が紛らわしいこと口にしたから……」
 篠森さんの言葉にイブキさんが謝罪を返す。イブキさんと篠森さんが従兄妹、なのだろうか。それにしても、火事ってなんだろう……
 凌先輩がアオイの前にしゃがんだ。
「なあ、蒼。今日の夜ご飯何か食べたい物ある?」
 え?夜ご飯?
「夜ご飯、何食べたい?」
「……オムライス」
 アオイがずいぶんと可愛らしいメニューを口にした。
「じゃあ、今日の夜ご飯はオムライスにしような」
 凌先輩がそういうとアオイの頭が縦に動く。
 一緒に夕飯をとるのか?ということは、篠森さんも?
 やっぱり、ただの知り合いっていうのではなさそうだ。僕達を遠巻きに眺めている生徒もこの会話に反応したのか、ヒソヒソと話し始める。これでまた明日面倒なことにならなければいいんだけど……
「よかったな、蒼」
 イブキさんがわしわしアオイの頭を撫でると、頼りない首がグラグラ揺れた。
「ま、その前に昼飯だな。もう用意できているはずだから、帰るか」
 凌先輩の言葉に篠森さんが少し驚いたような顔をした。
「え?」
「昨日姉さん言ってたろ。美弥子さんにお願いしておくからって。今日の昼のも用意してあるって」
「ごめん、凌くん。助かるよ。俺、ちょっともう行かなきゃまずい」
「あ、電話。呼び出しだったんですか?」
「そうなんだ。俺ここから直接行くから、あと頼んでもいい?」
「わかりました」
 イブキさんはそのまますぐに表へ出て行った。
 所在無げに立っている僕はさっきの喜多村さんたちのようでなんだか自分のことなのに滑稽だった。
「由貴、ありがとうな。助かった」
「いや、それは全然構わないんですけど……」
 きっと今の今まで僕がいるのをこの人は忘れていたんじゃないか?と思わせる言い方だったけど、凌先輩は普段通りのポーカーフェイスに戻っていた。
「由貴、さん?あの、ありがとうございました」
「えっと、さん付けはやめません?一応、僕同級生なんだけど……藤井由貴」
「あ、ごめんなさい。藤井くん……」
 由貴さんも微妙だけど、そこから藤井くんに訂正されるのもなんだか微妙な気分だ。もし彼女も僕も生徒会に入ることになれば、藤井が二人でややこしくなるだろうけど。
「まあ、いいや。弟さん見つかってよかったね」
 小さく頷いた篠森さんはやっぱり表情に乏しくて、凌先輩とはちょっと別の意味で何を考えているかわからない。まあ、でもこのアオイはやっぱり篠森さんの弟だったのだろう。
「じゃあ……」
 凌先輩に促され立ち上がった篠森さんがふらついた。その腕を凌先輩がとっさに取る。なんか女子が憧れそうな光景だ。姉さんがみたらトキメキものだろう。
「……走り過ぎて貧血起こしたんだろ。大丈夫か?」
「……はい」
 貧血……?確かに顔色は悪い、かな。
「じゃあ帰るか」
 凌先輩の後を篠森さんとアオイが付いていく。その3人を周りにいる生徒の目が追いかけた。
 これは、姉さんに報告がいっぱいできたな。無関心を気取っているけど、僕も姉さんも情報集めがすきだからね。

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