今日から高校生。入学式に相応しい、見事に満開の桜並木を歩く。入試の日はひどい雪の日だった。舞い散る桜の花びらがその日を思い出させる。
 幼稚舎からこの学校に通っているとあまり代わり映えがしないような気もするけど、高等部からの外部入学者もいるから、少なからず増える初めましての人との出会いに期待はある。
 それにしても、驚いたのは豊が首席じゃなかったことだ。中等部の三年間、あいつが首席じゃなかったことはない。ということは、外部入学者が首席だったんだろうな。
 1Aの教室は真新しい制服姿の同級生たちでざわついていた。中等部と制服は変わらないが、やはり心機一転ということか、中等部からの持ち上がり組も制服を新調したらしい。僕もそうだけど。
 いくつかのグループが雑談をしている。皆持ち上がり組だ。何人かぽつんと一人で席についている者は高等部からの入学者だった。いくつかの見たことのない顔を眺める。
「おはよう」
「ああ、首席奪還された西条くん。おはよう」
 後ろから掛けられた声に振り返りながら挨拶を返すと、豊がすごく嫌そうな顔をしてみせた。
「ずいぶんなご挨拶だな」
「お前が首席じゃないってことが面白いからね」
「そんなことを面白がるな。でも、どいつなんだろう、首席」
 豊もそこは気になるようだ。豊は一見、決して賢そうに見えない。こんなこと言ったら殴られそうだけど。どっちかといえば見た目はチャライ。いまどきの高校生のお手本のような風貌だ。でも、すこぶる頭はいい。
 いつ勉強しているのかなんて全く想像もできないけど、そもそもの出来が違うのだろう。そつなく何でもこなす。羨ましいとしか言えない。英語だけは好きじゃないみたいだけど。
 僕は一生懸命勉強して、5番以内をなんとかキープできているっていうのに……
「生徒会、どうなるんだろうな」
「豊は間違いないんじゃない?」
「どうだろうな。またお前とやるのも楽しそうだけど、こればっかりはなあ」
「確かにね」
 他の学校がどうかは知らないけど、この学校の生徒会は先生からの推薦を元に、現生徒会が選ぶ。
「でも、姉さんが僕と豊はほぼ決まりだろうなって言ってたよ」
「そうか。また瑞貴先輩とやれるかもしれないのか」
「仁先輩に、姉さん、凌先輩。この3人がいるだけでおもしろそうじゃない?」
「間違いないな」
 僕の言葉に豊がにやりと笑う。それと同時に教室の中が一瞬で静まり返った。
「なんだ?」
 豊と共に教室を見渡すと、ちょうど一人の生徒が入ってきたところだったらしい。その生徒を見た瞬間に静まり返った理由を理解した。
 その白い肌はむしろ病的とも思えるほどで、日本人離れした顔立ちを更に際立てている。俯き加減でもはっきりと分かるその整った顔立ちは無表情で、人を寄せ付けない何かを纏っている。
 こんなにキレイな顔をした子を初めて見た。むしろキレイすぎてちょっと怖い。
「すっげー美少女」
 豊が呆れたように言った。静まり返っていた教室も少しずつざわめきを取り戻し始める。
 天は二物を与えるんだなと、どうでもいいことを思った。この学校に高等部から入学できる時点で、成績もいいのだろう。
 注目されることに慣れているのだろうか。彼女は教室中からの視線を集めていることに動じる様子もなく、黒板に書き出されている席を確認してから、自分の席についた。
「ほら、席に付けー」
 担任教師となる人物だろう、その人が教室に入ってくるなりそう声を上げる。
「式次第くばるぞー」
 あまりやる気のなさそうな先生だな、というのがこの担任に対する第一印象だった。30代半ばくらいかな。おそらく独身。いや……意外と若い彼女とかいたりして?
 ついつい癖でその人の背景とかを考えてしまっていたが、配布された式次第を見た瞬間にそれは吹っ飛んだ。

新入生代表挨拶:篠森 美桜

 美桜……みお、と読むのだろうか。ということは女?
 この教室の中にいる初めて見る顔は5人分。そのうち男は4人。残る一人の女は豊の言葉を借りれば『すっげー美少女』の彼女だけ。
 あの子が首席?
 思わず豊を見ると、式次第を見て固まっていた。豊の後ろの席にその『すっげー美少女』が座っている。顔を上げた豊は後ろを振り返りたそうだ。僕と目が合うと苦笑いを浮かべる。
 もしかしたら、彼女と豊と僕が今年の生徒会に入るのかもしれないと想像してみたが、その絵は全く思い浮かべることができなかった。第一、彼女の背景が全く想像できない。
 百合ヶ丘の首席ともなれば全国模試で上位常連でもおかしくないはずだけど、篠森美桜という名前は見た記憶はない。帰国子女とかか?でも、百合ヶ丘は帰国子女の生徒が少ない。特別措置のようなものがないからだろう。
 駄目だ、全く想像できないや。
 ちょうど篠森美桜に対する人物像探索を諦めたとき、担任から講堂へ向かうよう告げられた。
「あの子が首席、だよな……」
 豊が呟いた。
「だろうね。他に外部の女子いないしね」
「まさかなあ……」
 少し前方を一人で歩く篠森美桜に目をやる。講堂へ続く連絡通路に風が通り抜けると、陽に透けて淡い栗色に見える髪がそよぐ。そこだけ違う空気が漂っているような、周りと隔絶されているような雰囲気だった。
「なーんか、異世界?」
「え?ああ……」
 豊の言いたいことは僕が感じていたことと同じようなことだろう。他のクラスメートたちも似たようなものを感じているのか、皆隠しきれない興味の色を目に浮かべ、でも少し遠巻きに彼女を眺めてる。
「篠森、こっちに」
 講堂の入口前で、担任が篠森美桜を呼び寄せた。彼女を先頭に僕たちは講堂に入場することになる。僕達にとってこのインパクトは大きい。
 中等部の3年間は豊が首席だったし、一つ上は凌先輩。二つ上は仁先輩。一つ下も二つ下も首席は男子だった。もちろん普段の試験の順位をみれば、彼らが毎回学年首位を保っているのは間違いないのだけど、何故か女子生徒がトップを取ることはなかった。
 講堂に入り、新入生が皆席に着くと、式次第通りに退屈な校長の式辞や来賓の祝辞が続いた。
 在校生代表挨拶は仁先輩。相変わらず爽やかな笑顔を振りまいているが、実はけっこうアクの強い人だ。それをこの学年で知っているのはきっと生徒会で関わったことがある僕と豊くらいだろう。
 そして、本日のメインイベント。新入生代表挨拶だ。彼女が壇上に上がると微かな響動きが湧いた。あの顔じゃそれも仕方のないことだろう。
 でもやはり彼女は動じる様子も緊張するような素振りもなく、淡々と挨拶文を口にする。こういう注目されることに慣れているのかとも思ったけど、無関心という方が当たっていそうな気がする。
「本日はまことにありがとうございました」
 そう彼女が締めくくったとき、さっきの響動きとは違う種類のざわめきがあった。それは決して彼女を受け入れる類のものとは思えなかった。
 教室に戻ると明日から始まる実力試験に関しての説明が担任からされ、放課となった。すぐに何人かの女子生徒が篠森美桜の元に集まった。その中心に喜多村と江田がいることにちょっと嫌な予感を覚えつつ僕と豊は様子を眺めていた。
「篠森さんてどこの中学校だったの?」
「どこから通ってるの?」
「ご両親は何をなさってるの?もしかして帰国子女だった?」
「どうして百合ヶ丘にいらしたの?」
「よかったらこの後一緒に帰りません?」
 僕と同じことを考えたのがいたのか、と矢継ぎ早に彼女に浴びせられる質問を聞きながら思った。そんな質問に彼女は無言のままだった。
「ねえ、いかがかしら?」
「……あの……弟を待たせてるので、帰ります」
 たった一言そういうと、振り返ることもなく教室を出て行った。彼女の周りを取り囲んでいた数人は呆然としたままその後姿を見送ったが、その沈黙を破ったのは喜多村の甲高い声だった。
「なに、あれ。感じ悪い」
「にこりともしないじゃん。こっちは外部生だからって気を遣って声を掛けてあげてるのに」
 それに同意を示したのは江田。
「……またかよ」
 豊が心底嫌そうな顔をして二人を見ている。僕はその二人じゃなく、こっそりと松川さんの様子を伺っていた。
 松川さんは一部始終を心配そうに見守っていた。自分の身に覚えのある光景を無視できなかったのだろう。
 中等部から入学した松川さんは、どちらかと言えば控えめでおとなしそうな印象をあたえる。その印象に違わず、喜多村たちから繰り広げられる質問にうまく応えられなかった。
 お高くとまってる、それが彼女に与えられたレッテルだった。僕はそれを傍観していただけだったけど、豊はそうはしなかった。何かと松川さんを気遣った。
 そしてそれが彼女の孤立化を助長していたことに豊が気がついたときにはもう遅かった。彼女はクラスに溶け込むことを自分から手放した。
 ポケットに入っている携帯が振動して、僕の思考は中断させられた。
「生徒会室行くけど、豊も来る?」
「あ、瑞貴先輩?」
「うん」
「あー、今日は帰るよ。よろしく言っといて」
「わかった。じゃあね」
「おう。明日な」
 そんな話をしている間に僕の後ろの席にいた松川さんは教室を出て行ったようだった。2年生になるころには松川さんも一緒に教室で過ごす友達はできたが、たぶん、豊はまだ気にしている。
「どうだったかね、初日は」
 生徒会室に入るなり姉さんがニヤリと笑った。
「どうって言われても、入学式しかしてないよ」
「そりゃそうか」
「で?何か用事あったんじゃないの?」
 仲はいいと思うけど、わざわざ一緒に帰ろうよなんて言うことは今までなかったことだった。
「あら、察しがいいわね」
 好奇心いっぱいという感じで僕をみる。
「篠森美桜ちゃん。どんな子っぽい?」
「…………」
 どう答えたらいいかわからなかった。
「なに?どうしたの?」
「いや。むしろ姉さんはあの代表挨拶見てどう思った?」
「んー。ああいう壇上だとね。まあ、仁とか凌みたいにある意味変わらない人もいるけど、普通は緊張とかするだろうしね」
「……緊張しているように見えた?」
「それは……」
 ガラっと扉が突然開き、僕も姉も思わずビクっとした。入ってきたのは凌先輩だった。
「凌先輩、こんにちは」
「こんにちは」
 この人もきれいな顔してるんだよな……でも、凌先輩が和なら篠森美桜は洋だな。
「今ね、篠森美桜ちゃんの話してたとこだったのよ」
「ああ、由貴と同じクラスですね」
 姉さんの言葉に、凌先輩が僕を見る。
「あの子、ちょっと大変かも」
「大変って……?」
 姉さんと凌先輩の声が重なった。
「んー。コミュニケーションが取れないというか、取らないというか……」
「生徒会、入ってくれるかしら?」
 僕が彼女に対して最終的にもった印象は無関心。無関心って簡単に言うけど、どうでもいいって思ってるってことでしょう?そんな子が生徒会活動とかをするとはあまり思えない。
「難しいと思うよ」
 姉さんの顔が曇る。凌さんの表情から考えていることを読み取ることは相変わらず難しい。それでも、この話題に興味がないわけではなさそうだ。
「終わった後、クラスの何人かが篠森さんの周りに集まって……幼稚舎からいる子たちがなんかいろんな質問並べたんですけど、彼女それには何も答えないで、弟待ってるから帰りますってさっさと帰っちゃって」
 この説明だと彼女だけが悪く聞こえそうだな……
「でも、その質問も出身中学とかはいいとしても、両親の仕事とかそういうのもあって。中等部の入学当時もあったんですよ、そういうの。その時の子はけっこう内気な子で、うまく答えられなくて、その後ちょっと浮いちゃってかわいそうでしたね」
「なに、それ。初対面でべらべら自分のこと話せる人なんてそうそういないと思うけど」
「気の強い子なんですよ。幼稚舎の時から知ってるんですけど……周りに人を従えたいタイプで。まあ典型的な女の子リーダータイプというか。幼稚舎からいるって選民意識みたいなのがあって」
 凌先輩が納得したような顔を見せた。
「だいぶおカンムリだったから……入学早々面倒なことにならないといいんですけどね」
「凌、知ってる子なんでしょ?」
 凌先輩の知り合い……?
「いや、知ってるって程ではないですけど……」
「あれ?仁がそう言ってたよ」
「姉の婚約者の従兄妹ってだけで、面識があったわけでは……」
 お姉さんの婚約者の従姉妹っていうのは微妙な距離だな。
「そうなんだ……候補が上がってきたんだけど、あの子以外みんな男の子だから、彼女が生徒会に入ってくれたら私は嬉しいんだけどなー」
 姉さんが口を尖らす。
「あ、もう候補上がったんですか?」
「うん。彼女のほかは由貴と西条くん。あと外部生が二人」
 僕が聞いてていい話なのか戸惑ったけど、二人は気にするでもなく話し続けた。
「まあ、二人は由貴と西条で決まりでしょうね」
「そうねー。だから女の子入って欲しいんだけどな」
 ふと、さっきも思った疑問が口をついた。
「篠森さんってどこの中学校だったんだろう。全国模試とかで名前みた記憶もないし……」
「白銀台女学院だよ」
 凌さんの言葉が一瞬理解できなかった。
「えっ!?」
 僕と姉さんの反応に、凌先輩がしまった、という顔をする。口が滑った、そんなとこだろう。こんなに分かりやすい表情を凌先輩がするのは珍しい。
 それにしても、白銀台女学院って……なんでわざわざ百合ヶ丘を受け直す必要があったのか。
「白銀台女学院!?なんでわざわざうちにきたの!?」
 姉さんも同じ疑問をもったらしい。
「……さあ。でも事情ありそうだったけどね」
 凌先輩は何か知っているのだろうか。
「俺もそれ以上のことは何も知りませんけどね」
 それ以上の追求を避けるかのように「じゃあ、俺はこれで」と生徒会室を出て行った。僕も姉さんも無言のままに目を合わせる。
「……事情って……」
 姉さんの問いかけに僕は答えなかった。白銀台女学院からわざわざ百合ヶ丘を受けるような事情。きっと知られたくない事情に違いない。『俺もそれ以上のことは何も知りませんけどね』というのは凌先輩の牽制だろう。
「篠森さんの生徒会入りは諦めたほうがいいのかもね」
「……あーあ。あんな美少女とやれたら楽しそうだったのになー」
 おそらくこれは姉さんの本音だろう。この人は可愛いものと美しいものに目がない。
「まあ、まだ篠森さんが生徒会入りを断ったわけじゃないし」
「そうね。期待しすぎないように期待してよっと」
 明日から3日間は実力試験だ。そんなにクラスメート同士絡むこともないだろう。そう思ったんだけど……

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