序章 : page 03

 どれくらい時間がたったのか、カーテンの外はもうかなり暗くなっている。慶人くんの体 の重さでまだ寝ていることが分かる。
 そっと慶人くんの頭を撫でると、既に眠りが浅くなってたのか、小さく唸った。それでも撫でるのをやめないでいたら、突然首筋に噛み付かれ、寝たままの状 態で強く抱きしめられる。思わず、はぅっと息を飲み込むと、ふふっと笑い声が聞こえた。
「起きた?」
「んー」
 また小さく唸り、さっき噛んだ首筋を舐められる。さっきまではお腹に少し力を入れれば、抜け出しそうだった彼自身が今はもうその存在を私の中にはっきり と感じさせるほどに変化していた。
 何度も首筋を舌が這い、腰の辺りをくすぐられると、また私の中から溢れてくるものがある。それを知ってかずっと私の中にいた彼のものがそこから更に奥へ 押し付けられた。
「んっ……」
 ため息に近い声が漏れると、少し上体を起こし、私の顔を覗き見た。
「もう準備万端なんですか?」
 わざとと知ってるけど、無表情に突き放すように言われると、自分がいけないような気がしてくる。
「ごめんなさい」
 そう呟くと、いいよと笑って、ひとつキスをくれた。そのキスは唇から顎に、顎から頬に、額に、まぶたにと移り、顔から首、胸へと続いていく。
 そっと手が胸に添えられ、優しく持ち上げるように撫で始めた。撫でながら、その頂に唇が寄せられる。
「あ、んんっ」
 躊躇なく彼の舌が狙いを定めたかのように、何度も何度もその頂を転がすように舐めると、彼を通して私の中からまたあふれる。
「濡れ娘」
 そう笑いながら、彼の腰が動き始める。ゆっくり繰り返されるその動きに、たちまち上り詰めそうになり、たまらず枕の端を掴んだ。その手を彼の手が取り上 げる。そのまま私の指は彼の口に含まれた。
 自分の指が彼の舌の温かさを感じ、その様子をただ呆然と見詰めてしまう。挑発するような視線を投げかけられ、女 も視覚で感じるのだな、とふと思った。
 自他共に認めるドSと言われている彼のセックスはとことん優しいと思う。確かにわざと痛くしてみたり、噛んでみたり、叩いたりすることもあるけど、それ は猫や犬が遊びでじゃれ噛みするような感じで、恐怖を伴うようなことはない。
 むしろ、もっとと思ってしまうこともある。私がMなのかもしれないけど。
 慶人くんから与えられる快感に翻弄されながら、たまにどこかでそんなことを考えてしまうときがある。あっという間にいってしまいそうになる自分を繋ぎと めようと暗闇を模索するような感じ……
「いって、いい?」
 そう問われ、彼の目を見て頷く。途端に早くなる彼の動きに、私の思考は白い靄に包まれたかのように朧気になった。
 私に覆いかぶさり、息が整うのを待つ。いつものように私の髪を撫でながら。この時間がたまらなく幸せに感じる。
「腹減ったな……」
 呟いた慶人くんの言葉に私も頷いた。
「どうする?なんか作る?」
「んー。食べに行ったほうが早いな」
 そういうなり体を起こし、んーと言いながら私の中から抜け出した。
「この瞬間って感じる?」
 何かいたずらを企んだ子供のような表情でそんなことを聞いてきた。
「……バカ」
 ふふっと笑いながら、自分のものを処理し、私の足の間をティッシュで拭う。
 今まで体をともにした人からはこんなことされたことなかった。した後はそのま ましっぱなし。そんなのばっかりだったから、それが当たり前だと思っていたんだけど、人の数だけ当たり前ってきっとあるのよね。
「どこ行く?」
「んー、その前にシャワー浴びる人」
 そう問われ、はーいと返事をし、バスルームへ二人で向かう。
 前はこんなこともできなかったな、とふと思う。明るいところでのセックスはもちろん、一緒にお風呂なんて考えられなかった。でも、今はむしろ一緒に入り たいとさえ思う。
 二人で交互にシャワーのお湯を浴び、体を洗う。いつの間にか、当たり前のことのようになっている。
 互いの背中を擦り、石鹸まみれの体で抱き合い、一緒に またお湯を浴びる。こんな日が毎日続けばいいのに。
 すっぴんで出掛けようとしたことを窘められ、簡単にメイクを済ませ家を出たのはもう二十時を回っていた。
 もう雪は止んでいたが、積もった雪が踏み固められて滑りやすくなっている。吐く息も暗い道の上、はっきりと白く見えた。
 普段、手を繋いだり、腕を組んだりすることはない。たぶん、嫌がるんじゃないかなと思って。
 ただ、お酒が入っているときは酔った振りして腕を組んでみ る。大体は嫌がられないんだけど、慶人くんの酔いが少ないとだめと言われたときもあった。だから、すべるーと言いながらそっと袖を掴んでみた。
 よし、大丈夫そう。
「転ぶなよ。転ぶときは、手を離してから一人で転べよ」
「なにそれ、ひどい」
 にこりともせずにそんなことを言うけど、実際に転びそうになると助けてくれることを私は知ってる。でも、知らないことが二つある。
 ひとつは慶人くんの私に対する気持ち。もうひとつは私たちが付き合っているのかどうかってこと。
 嫌われてはいないと思うし、そういう対象でなければセックスもしない人だとは思う。言わなくても分かるでしょ、というスタンスなのかもしれないけど、不 安になる。
「どこいく?」
 足元に注意しながら、もやもやとそんなことを考えていたから、どこに行くかなんて全然頭になかった。
「考えてなかった」
「おーい。早く決めないと俺帰るよ」
「やだ」
「やだって。なら早く決めろ」
 決めろって言われてもなあ。どこだと知り合いがいそうでいやだとか、どこだとお客さんがかぶってるからいやだとかいろいろあるくせに。
「慶人くんはどこもないの?行きたいとことか」
「あったかけりゃいいよ」
 確かにね。もしかしたら氷点下なのではと思うくらい寒い。おまけに風があるから、頬が風に当たるたび切れたような痛みを感じる。
「慶人くん今日お休みしちゃってるからなあ。この辺りか駅前にしておこうか?」
「そうだなー……、あ、1394は?」
「あ、そうね。しばらくジョージさんにも会ってない」
「じゃ、決まり」
 ジョージさんとこ、ここからだと20分位かな。寒いからってことにして、両手でしがみついちゃえ。でも、怒られるんじゃないかと不安になってそっと見上 げると、意外なことに優しい眼差しが目に入った。ドキドキした。
「寒い?」
 慶人くんの言葉に頷いた瞬間に、足元がよろめいた。
「ちゃんと下向いて歩きなさい」
「はーい」
 しっかり左腕にしがみつき、足元に注意を向ける。風が右側から吹いてるから、より温かさが増す。
「お前さ、俺のこと風除けにしてないか?」
「……ばれた?」
「ふーん、いい度胸だな。」
 そう言って、左腕を動かす。胸に当たる感じを面白がってるのだろう。放すもんかというのと、あまり動かされないようにというので、更に強くしがみつい た。
「ま、危ないからしっかり摑まってなさい」
「はーい」
 話しながら歩けば、寒空の中でも楽しい。あっという間に1394へ着いた。 一枚木の重い扉を開くと、ジョージさんが少し驚いたような顔を見せた。
「いらっしゃい、今日は二人とも休みなの?」
「あー、清瀬は休みだけど、俺は自主休暇」
「お前、またかよ」
 ははっと呆れながら笑うジョージさんに促され、カウンターの端の席へ着く。
「ビールください」
 すかさず言った慶人くんに続いて、私もビールを注文した。ほら、とフードメニューを渡される。
「……お肉食べたい」
「あ、俺も」
「じゃあ、砂肝の黒胡椒焼きとかは?」
 ビールのグラスを軽くあわせながら聞いてみる。
「お。いーねー。じゃ、あとなんか野菜」
「なんかって……、じゃあ、この温野菜のサラダでもいい?」
「温かいのいいね」
 注文をお願いしようとジョージさんに目を向けると了解と頷かれた。

<< | >>


inserted by FC2 system