「コーヒー淹れるけど、飲む?」
「……お願いします」
「いいよ、そんなに畏まらないで」
 2杯分のコーヒーをセットする。
「ミルクとかいる?」
「いらない、です……」
 ふっと笑いが漏れた。美桜が怪訝な顔をする。
「いや、昨日姉さんと同じような会話をしたんだけど。俺いらないって返事もしなかったから、なんか新鮮」
「返事、しないんですか……?」
「姉さんも返事ないからブラックでいいんでしょって。うちそんな感じだから」
 頷いていいものか迷ったのか、中途半端に首を傾げる。まだ緊張している様子はあるが、この空気を拒むような感じはない。
「少し、話してもいい?」
 拒むような感じではないものの、用心深げに頷いた。滅多に使うことのない客用のコーヒーカップにコーヒーを注ぎ入れる。このカップを使うのはおそらく両 親とここに住んでいた頃以来だろう。
「あのさ、入試の日に会ったの覚えてる?」
「……はい」
「あの時さ、1つ目の試験の残り時間30分切ってたと思うんだけど、どうやって解答した?」
「……え?」
「いや、入試に限らないんだけど、うちの試験問題数多いから30分切っての解答ってけっこう大変だと思うんだけど……」
「国語だったからなんとかなりました」
「国語……文系得意?」
「得意なのはどっちかといえば理系だと思います」
「じゃあ、なんで?」
 当たり障りの無い会話で思い浮かぶのが試験のことって……俺どうだよ……
「……数学とかだと、一問一問やっていくしかないんですけど……国語は問題読まないんで……」
「読まないの?」
「必要なところだけ……漢字とか正誤問題とかは見ればそのまま解答していけばいいし……長文はその問題に必要なところだけ見て……」
「そっか……俺と真逆なのか」
 ちょっと目からウロコだった。
「真逆……?しのぐ、はどうやってるんですか?」
「敬語も別にいいよ。俺は、問題に一通り目を通してから時間配分して、配点が高そうなところから始める。配分した時間内で終わらなかったらとりあえずそこ までにして、他の問題に移る。最後に余った時間で残した部分をやる」
「すごい。私そういうやりかたしたことない……」
「俺からすれば美桜のやり方がすごいと思うけどね」
 互いに小さく笑みが漏れる。
「凌は不思議な人ですね」
「不思議?」
「そう。今日の蒼のことも本当にありがとうございました」
「お礼はもう聞いたよ」
「ううん。あの、私たちのことだいたい聞いてるんでしょう?」
 だいたい、なのだろうか。
「……大まかには」
「あの火事以来、蒼が笑ったの初めて見ました」
 自分が笑っていないという自覚はないのか?
「美桜が笑えば、蒼ももっと笑うと思うけど……」
「……私も笑ってないですね……私は入試の日にやっと笑うことを少し思い出せたような気がする」
「入試の日?」
「はい。凌が頑張ってねって言ってくれたとき、なんてキレイに笑う人なんだろうと思いました……私もあんなふうに笑えるようになりたいって……」
 俺、あの時笑ったのか?
「笑った、記憶はないんだけど……」    
「きっと意識してないから、あんなふうに笑えるんだろうな……」
 独り言のように呟いた。
 こんなに一人の人と会話を続けたことなんてほとんどなかったが、美桜との会話は心地良かった。ゆっくり言葉を選びながら話す美桜のペースが気持ちいい。
「夕飯、何時頃にする?」
「凌は普段何時頃ですか?」
「19時ころ、かな」
「じゃあ、その頃がいいです」
 少しでも何か吹っ切れたのか、昨日までの様子とはまるで違い、声を上げて笑うようなことはないものの、微笑を浮かべるようになっていた。
「了解」
 そう返事して冷蔵庫の中を確認する。オムライスは問題なく作れるだろう。なんとなく常温で保存できる野菜用においている木箱の中を覗いてみた。
「!?」
「どうしたんですか?」
「いや、何故か大量のじゃがいもが……」
 木箱からはみ出さんばかりに詰め込まれているのを見て美桜も目を丸くする。
「すごい量ですね」
「昨日もポテトサラダで今日はタラモサラダで、どんだけじゃがいもだよとは思ってたんだけど……北海道に一人、ちょっと変わり者の親戚がいて。いろんなの 送ってくれるんだ。たぶん、これもそうだな」
「北海道……」
「そう、牧場やりたいからってでてった」
「すごい」
 美桜の表情が明るく輝いた。
「……今度行ってみる?」
「えっ!?行けるの!?」
「……行くのは簡単だけど……」
 予想外の返事に俺がうろたえてしまう。
「蒼も私もお出かけとかしたことなくて……私はできなかったけど、蒼にはいろんなもの見せてあげられたらいいな……」
 そうだ。県外は疎か、動物園や遊園地にだって行ったことがないのだろう……
「美桜、誕生日いつ?」
「4月2日です」
「……え?」
「2日、でした」
「もう終わってんじゃん、じゃなくて。あと1日で同じ学年だったんじゃないか」
 俺のボヤキに美桜が怪訝そうに首を傾げた。
「俺、4月1日なの。3月31日で満○才になるってんで今の2学年になってるけど、あと1日生まれるのが遅かったら美桜と同じ学年。っていうか、美桜と生 年月日がおなじになってた」
 誕生日なんて特別視したことなかったけど……なんか惜しいって思って。美桜が一日早かったとしても同じ学年になったんだな……とどうしようもないことが 頭に浮かんだ。
「凌の次の日に私が生まれたんですね。同じ頃に凌も私も産まれようとがんばってたんですね」
「……そうだな。今年はもう過ぎちゃったけど、来年は一緒に祝うか」
「本当ですかっ!?私、お誕生日のお祝いって父からの贈り物以外知らなくて、ちょっと憧れてました」
 少し照れたように笑う美桜を抱きしめたくなる。どんなにか今まで寂しい思いをしてきたのだろう。でも、父親は誕生日プレゼントを贈っていたのか……全く 交流がなかったわけではないのか?でも、ここまではまだちょっと突っ込んで聞くのが怖い。
「どんなのに憧れた?」
「小説とかに出てくる光景しか知らなくて……ご馳走にプレゼントにケーキがあって……年齢分のろうそくを吹き消して……」
「来年はそれ全部やろうか」
 美桜が本当に嬉しそうに、それは嬉しそうに微笑むと口元に二つ笑窪が現れた。
「蒼は?蒼ももう過ぎたとか言うなよ」
「5月3日です」
「ゴールデンウィーク中か……蒼連れてどっか行こうか?」
「いいんですか?」
「別に。ゴールデンウィークは基本的に暇だし。生徒会の用事がいくつか入るかもしれないけど、体育祭と音楽祭の準備くらいしかないし」
「音楽祭ってどういうことするんですか?」
「ああ、クラス対抗で2日に分けてやるんだけど。ミュージカルやるクラスもあるし、合唱とか吹奏楽やるところもあるな」
「……楽しそう」
「やっとちゃんと学校生活を送れるんだ。楽しめばいい」
 どこまで踏み込めるか探ってみるが、意外にも美桜は動揺することもなく俺の言葉を受け止めた。
「そうですね。私も蒼も、知らないことが多すぎるから……」
「葵の誕生日は動物園とか水族館とか行ってみるか」
「私も蒼も犬と猫以外の動物ってテレビとか図鑑でしか見たことない」
「……象ってどれくらいの大きさだと思う?」
 少し考えた後これくらい?と示す大きさは俺くらいの背の高さで。176cmの高さの象はきっとまだ子供のサイズになるだろう。
「俺でも見上げるぞ……」
「本当にっ!?そんなに大きいの!?」
 美桜のはしゃいだ声に蒼が目を覚ましてしまったようだ。
「みおちゃん?」
「ごめん、蒼。起こしちゃったね」
「みおちゃん、どうしたの?」
「あのね、凌お兄ちゃんが今度の蒼の誕生日に動物園に連れていってくれるんだって!」
「……どうぶつえん?」
「そう。象さんもキリンさんもいるんだよ……いる?」
 途中で不安になったのか俺に確認をしてきた。
「いるよ。象もキリンも、虎もライオンも。シマウマだっている」
「ほんとうにっ!?」
 反応の仕方が同じで笑える。姉弟ってこういうもんか?俺と姉も昔はそうだったのだろうか。
「本当に。来月のお休みの日に行こう」
「よかったね、蒼。楽しみだね」
「うんっ」
 姉の言った言葉が蘇る。
「簡単なことではないと思うけど、蒼くんの方はまだ幼い分、新しい環境にも馴染むのも早いんじゃないかって。楽観視しすぎかもしれないけど。でも、美桜 ちゃんは……やっぱり難しいと思うのよね」
 姉はそう言った。確かに楽観しすぎなんかもしれないけど、こうやって二人の笑顔を見ると、少しは馴染んできてるのかと期待してしまう。
 蒼は「動物園」に興奮したのか、動物の話を一生懸命美桜にしている。それを横目に俺は夕飯の支度を始めることにした。
 オムライスか……好き嫌いはないって言ってたけど、ピーマンも人参も平気か?まあ、いいや。入れてしまおう。
「あ、手伝います」
 俺の気配を察したのか、美桜が後ろから声をかけてきた。
「ああ、いいよ。蒼の相手しててあげて。うち子供向けの絵本とかもないし、ゲームもないし。ただ待ってるだけはつまらないだろう」
「お昼もご馳走になって、何もしないなんて……」
「そう?じゃあ……あ、蒼ピーマンとか平気?」
 何もしないのもそれはそれで気詰まりかもしれない。
「うん、食べれる」
「そっか。はさみは使える?」
「うん、使える」
「じゃあ、蒼にも手伝ってもらおうかな」
「僕も手伝える?」
 蒼の目に期待が宿る。
「うん、しっかり手伝えよ」
「わかった、がんばる」
 さて、蒼にはどんな仕事を与えるか。冷蔵庫の中身を考えながらメニューを組み立てる。スープも作るか。
 姉以外の人とこうやって共に料理をするということは初めてだった。もともと料理という作業は好きだと自覚していたが、もしかしたらその自覚以上に好き だったのかもしれない。
 美桜と蒼もこういう時間を楽しんでくれたらいいと思う。今まであまり人に踏み込まないようにしていた自分がこんな事を考えるなんておかしくなる。
 そして、たった2日で美桜と蒼を中心に自分が考え動いていることが滑稽だとも思った。でも、認めてしまえばそれもいいとも思える。
 俺の二度目の恋は一目惚れか。それも一筋縄ではいかなそうだ。二人に見つからないようにこっそりため息を吐いた。

<< | >>

web拍手 by FC2

inserted by FC2 system